イケル・カシージャス(Iker CASILLAS)
フルネーム イケル・カシージャス・フェルナンデス
国籍 スペイン
出身地 マドリード
生年月日 1981・5・20
身長 185cm
体重 70kg
利き足
ポジション GK
FK PK             
キャプテン経験 クラブ 代表
代表デビュー 2000・6・3
スウェーデン戦
代表背番号 1 13 23
W杯メンバー 02年 06年
10年 14年
ニックネーム 聖イケル
個人タイトル 00リーガ・エスパニョーラ最優秀若手選手
07/08サモーラ賞(32失点)
07〜12UEFAベストイレブン
08〜12FIFA/FIFProベストイレブン
08〜11FIFA/FIFPro世界最優秀GK
08〜11IFFHS世界最優秀GK
08,12UEFA欧州選手権ベストイレブン
10FIFAワールドカップベストイレブン
10FIFAワールドカップゴールデングローブ
チームタイトル 97UEFAU−16欧州選手権
99/00,01/02,13/14UEFAチャンピオンズ・リーグ
99FIFAワールドユース
01,03,07,08,12リーガ・エスパニョーラ
02,14FIFAインターコンティネンタル・カップ
08,12UEFA欧州選手権
10FIFAワールドカップ
10/11,13/14コパ・デル・レイ
17/18ポルトガルリーグ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
99/00 レアル・マドリー 25 27
00/01 レアル・マドリー 25 34
01/02 レアル・マドリー 1 25
02/03 レアル・マドリー 1 38
03/04 レアル・マドリー 1 37
04/05 レアル・マドリー 1 36
05/06 レアル・マドリー 1 37
06/07 レアル・マドリー 1 38
07/08 レアル・マドリー 1 36
08/09 レアル・マドリー 1 38
09/10 レアル・マドリー 1 38
10/11 レアル・マドリー 1 35
11/12 レアル・マドリー 1 37
12/13 レアル・マドリー 1 19
13/14 レアル・マドリー 1
14/15 レアル・マドリー 1 32
15/16 ポルト(ポルトガル) 12 32
16/17 ポルト(ポルトガル) 12 33
17/18 ポルト(ポルトガル) 1 20
18/19 ポルト(ポルトガル) 1 31
19/20 ポルト(ポルトガル) 1    
GKとしては低身長の部類に入るものの、絶妙なタイミングの飛び出しと抜群の反射神経でゴールを守リ、1対1にも強いR・マドリー生え抜きの守護神です。
若いころからの豊富な経験は他の追随を許さず、前がかりになるチームをファインセーブで幾度となく救う姿は、マドリディスタから「聖イケル」と崇められています。

マドリード郊外のモストレスに生まれます。6歳でサッカーを始め、9歳でR・マドリーに入団して以来各年代で優勝します。1997年、16歳の時チャンピオンズ・リーグのローゼンボリと対戦するためのノルウェー遠征でトップに参加しました。トップの正GKであるカニサレスが練習中に負傷し、イルクナーとビサーリの戦線離脱による緊急的な出来事でした。
99/00シーズンの9月11日ビルバオ戦で、18歳とGKとしてクラブ最年少でリーガデビューし、ケガをした正GKイルクナーの穴を埋めます。リーグは5位でしたが、19歳となった4日後のチャンピオンズ・リーグ決勝でバレンシアを無失点に抑え、欧州の頂点に立ちました。
00/01シーズンは完全にレギュラーに座り、リーグでの自身の失点は37と少なく、攻撃面でもラウールが得点王をマークするなどしてリーグ優勝を獲得しました。
01/02シーズンに背番号が1となり飛躍が期待されましたがミスが目立ち、傲慢な態度を見せるようになったため、シーズン終盤に控えにまわる時もありました。しかしチャンピオンズ・リーグ決勝では先発出場したセサールが負傷し、後半から途中出場します。そして2度目の欧州の頂点に立ち、セサールと一緒に勝利を祝う場面も見られました。
02/03シーズンは全試合フル出場。I・エルゲラがCBに固定されてゴール前の守備力が向上し、2度目のリーガ制覇を達成。しかし03/04シーズン直前に守備の要で精神的支柱でもあったイエロが退団し、さらに中盤の守備を担うマケレレも退団しました。以降チームは攻守のバランスが悪くなりますが、04/05シーズンに686分無失点記録を作りました。
豪華な攻撃陣とは裏腹に脆弱な守備陣で負担が増える中、孤軍奮闘して低迷期を乗り切り、カンナヴァーロやディアッラ、ガゴと守備陣が加入した06/07シーズンに負担は軽減されます。そして07/08シーズンにはリーグ連覇とサモーラ賞に輝きました。
その後クラブと終身契約を結んで特別な存在になり、10/11シーズンはラウールとグティの同時退団によりキャプテンに就任。12月12日サラゴサ戦ではクラブ8人目のリーグ通算400試合出場を達成します。しかしアウェーのクラシコで5点を献上し、終盤もリーグとチャンピオンズ・リーグの3試合で2分1敗と宿敵に水をあけられました。国内カップは8試合2失点、決勝バルサ戦でも完封して意地を見せ、キャリア12年目で初優勝しました。11/12シーズンは失点の数こそバルセロナより3多かったものの、4年ぶりにリーグを制しました。
しかし12/13シーズンはモウリーニョ監督から正GKをはく奪され、負傷も重なり自己最少の19試合にとどまります。翌シーズンは引き続き国内リーグをD・ロペスに譲り、自身はカップ戦要員となります。そして国内カップを9試合戦って優勝すると、チャンピオンズ・リーグでも13試合に出場、マドリード・ダービーとなった決勝を制して10度目の欧州王者になりました。
その後デ・ヘア獲得がささやかれ、90/91シーズンに下部組織に入って9年後にトップデビューして以来、公式戦725試合に出場したクラブに別れを告げました。
その後ポルトに移籍し、2015年8月15日ギマラエス戦でポルトガル1部にデビュー。3年目は20試合にとどまりますが、クラブ5年ぶりのリーグ優勝を果たしました。4年目の終盤、練習中に心臓発作で倒れて戦線から離れています。

欧州選手権ではU−15、16のチームで頂点に輝きました。世界大会では1997年のU−17世界選手権で5試合プレー。2年後のナイジェリアでのWユースに2試合出場し、決勝で小野、稲本、高原擁する日本相手に4−0と完封して優勝しました。
フル代表デビューは1年後の6月3日スウェーデン戦で、直後に開催された欧州選手権にも召集されましたが出番はありませんでした。2002年W杯予選で5試合戦うと、本大会ではカニサレスが直前に負傷離脱したため正GKに昇格して全5試合に先発出場、2本のPKを止めてアイルランドに勝利してベスト8に進出しました。2年後の欧州選手権でも全試合出場を果たしますが、ポルトガルとギリシャの後塵を拝してグループリーグ敗退となりました。
2006年W杯予選も全12試合にフル出場し、正GKの地位を揺るぎないものにします。本大会のメンバーにも選ばれ、本大会でも1,2戦と決勝トーナメントのフランス戦にスタメン出場しますが、クラブでチームメートのジダンにゴールを許して1回戦敗退となりました。
2008年欧州選手権予選ではラウールの後を継ぎキャプテンに就任して10試合、迎えた本大会では5試合に出場。PK戦にもつれた準々決勝イタリア戦では相手のキックを2本止めてベスト8の壁を超えると、続く準決勝では躍進するロシアを、決勝でドイツを完封して44年ぶりの欧州制覇に貢献しました。2009年コンフェデ杯も4試合戦い3位になり、11月のアルゼンチン戦ではGKスビサレッタとFWラウールに次ぐ3人目の代表100試合を達成しました。
2010年W杯予選では9試合出場。7試合に出た本大会は初戦でスイスに足元をすくわれますが、その後チリ戦での1点以外すべて完封し、トロフィーを掲げました。
2012年欧州選手権予選でも7試合とレギュラーを守り、本大会も6試合戦い、イタリアとのグループリーグ初戦での1失点のみと安定したプレーで連覇しました。
2013年コンフェデ杯ではウルグアイとの初戦を制してベンチに控え、イタリアとの準決勝から再び出場しますが、ブラジルとの決勝で3失点しました。
2014年W杯予選は5試合に出場します。しかしクラブでの不遇がオランダとの初戦の5失点に現れました。この時点で戦意を喪失してキャプテンの体を成せずチリにも2失点して敗退が決定、3戦目を回避して4度目のW杯は最悪の結果に終わっています。
代表記録

余談
・2011年11月15日のコスタリカ戦に出場し、スビサレッタの代表126試合を抜いて代表の歴代最多出場記録を保持することとなりました。
2006年5月24日:新規アップ 2019年9月27日更新