オスカル・カルドーソ(Oscar CARDOZO)
フルネーム オスカル・レネ・カルドーソ・マリン
国籍 パラグアイ
出身地 ※1
生年月日 1983・5・20
身長 193cm
体重 87kg
利き足
ポジション FW(CF)
FK PK FK PK
キャプテン経験  
代表デビュー 2006・10・7
オーストラリア戦
代表背番号 7 18
W杯メンバー 10年
ニックネーム ※2
個人タイトル 06,09パラグアイ年間最優秀選手
09/10,11/12ポルトガルリーグ得点王
09/10UEFAヨーロッパリーグ得点王(9得点)
チームタイトル 04パラグアイリーグ
08/09~11/12ポルトガルリーグ・カップ
09/10ポルトガルリーグ
16/17ギリシャリーグ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
02 フェブレロ(2部)    
03 フェブレロ(2部)    
04 フェブレロ(2部)    
04 ナシオナル 14
05 ナシオナル 29
06 ナシオナル 9 24 17
06/07 ニューウェルス(アルゼンチン) 24 33 21
07/08 ベンフィカ(ポルトガル) 7 29 13
08/09 ベンフィカ(ポルトガル) 7 26 17
09/10 ベンフィカ(ポルトガル) 7 29 26
10/11 ベンフィカ(ポルトガル) 7 22 13
11/12 ベンフィカ(ポルトガル) 7 29 20
12/13 ベンフィカ(ポルトガル) 7 25 17
13/14 ベンフィカ(ポルトガル) 7 15
14/15 トラブゾンスポル(トルコ) 7 29 17
15/16 トラブゾンスポル(トルコ) 7 21
16/17 オリンピアコス(ギリシャ) 9 22
17 リべルタ 9 14
18 リべルタ 9 43 23
19 リべルタ 9    
大柄で空中戦に強いのは言わずもがなですが、それだけに頼らずポジショニングや得点嗅覚に優れた抜け目のないプレーが特徴的なCFです。

フェブレロなど下部リーグにて経験を積むと、04シーズンにナシオナルへ移籍します。ここで定位置をつかみ得点を量産、パラグアイ年間最優秀選手に選ばれました。
06/07シーズンにアルゼンチンのニューウェルスへレンタルされます。元同国代表GKプンピード監督の下、デビュー戦の8月6日ヴェレス戦で得点を挙げると、以降エースとして活躍し21得点を記録。同胞のGKビジャールと共にチームを攻守に渡って支えました。
07/08シーズンにポルトガルのベンフィカと5年契約します。移籍金約15億円は同クラブで2番目の高額となりました(最高額はバルセロナから獲得したMFシモン)。
そして素晴らしい適応力を見せてN・ゴメスと補完性の取れた2トップを組みます。国内でスポルティングとのダービーで得点を挙げます。また、チャンピオンズ・リーグでも3位となってグループリーグ敗退となりますが、アウェーのシャフタール戦で2得点を決めてマン・オブ・ザ・マッチになった試合を含め、6試合で3得点と役割を果たしました。その後のUEFA杯でもニュルンベルク戦で得点を挙げるなど、初の欧州の舞台にも全く臆さない活躍を見せました。
08/09シーズンは、4度の1試合2得点などランク2位タイの17得点とリーグ屈指の点取り屋に成長し、アイマール、サビオラ、ディ・マリアのアルゼンチン勢と共に躍動しました。
09/10シーズンは4度のハットトリックなど29試合26得点で、チームを5年ぶりのリーグ優勝に導きました。ヨーロッパリーグでもリヴァプール戦含め3度の1試合2得点など9得点を記録し、ブレーメンのピサーロと共に得点王になりました。
11/12シーズンはチャンピオンズ・リーグで9試合4得点、国内リーグでも4度の1試合2得点など開幕から得点を量産し、ブラガのリマと得点王を分け合いました。
12/13シーズンの国内リーグでは2試合連続ハットトリックなど、J・マルティネス、リマに次ぐ17得点を挙げるも2位に。ヨーロッパリーグでもボルドー戦や準決勝フェネルバフチェ戦での1試合2得点でチームを決勝に導きます。そしてチェルシー戦でもPKで同点に追い付きますが、終了直前にイヴァノヴィッチにヘッドを決められ、シルバーコレクターとなりました。
14/15シーズンにトラブゾンスポルへ移籍。9月22日イスタンブールとのデビュー戦でのPKやゲンチレルビルリジ戦のハットトリックなど17得点を挙げました。ヨーロッパリーグは8試合プレーしながらも無得点に終わりました。2年目もチーム最多の8得点を挙げました。
16/17シーズンにオリンピアコスへ移籍、9月11日ヴェリア戦でギリシャリーグにデビューしますが、3得点と不本意な結果に終わりました。
その後母国に戻ります。序盤こそ3試合連続で警告を受け、3試合目のC・ポルテーニョ戦では退場しました。しかし2年目は5度の1試合2得点やソル・デ・アメリカ戦のハットトリックなど23得点を挙げました。リベルタドーレスでも6試合で5得点と量産しました。
3年目もサン・ロレンソでハットトリックを決めています。

ニューウェルスでの活躍により代表に招集され、2007年コパ・アメリカでは3試合プレー。無得点に終わりましたが、準々決勝に進出しました。
2010年W杯予選では12試合1得点。本大会は5試合の出場もベンチスタートが多く無得点でしたが、日本を下して同国史上初のベスト8進出を決めました。
2014年W杯予選は9試合戦いますが、無得点に終わりました。2018年W杯予選はコロンビア戦の終了間際に同点弾を挙げ、サナブリアの逆転弾を呼びました。
代表記録

※1:J・エスティガリビア
※2:タクアラ=大木、バンブー=竹
2008年5月27日:新規アップ 2019年8月8日更新