ファビオ・カペッロ(Fabio CAPELLO)
フルネーム ファビオ・カペッロ
国籍 イタリア
出身地 ゴリツィア
生年月日 1946・6・18
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
経歴 1986〜87 1991〜96 1997〜98 ミラン
1996〜97 2006〜07 レアル・マドリー(スペイン)
1999〜04 ローマ
2004〜06 ユヴェントス
2007〜12 イングランド代表
2012〜15 ロシア代表
獲得タイトル 91/92,92/93,93/94,95/96,00/01セリエA
93/94UEFAチャンピオンズ・リーグ
96/97,06/07リーガ・エスパニョーラ
父親が監督を務めるピエリスから選手生活を始め、SPALのA昇格に貢献。21歳でのローマ入団以降ミランやユヴェントスを渡り歩き、国内リーグ、カップを獲得しました。
イタリア代表としても32試合8得点の記録があり、1973年にはサッカーの聖地ウェンブリーで得点を挙げ、翌年のW杯にも出場しました。1980年に現役を引退しました。

結果を最も重視するイタリアに準じ、スペクタクルよりも勝利を優先させますが、場合により批判の矢面に立つこともあります。典型的な完璧主義者かつ現実主義者で、選手との間に一定の距離を置きます。ロングボールを前線に放り込むカウンターを得意としています。
基本的に失点しないための組織力向上に注力しますが、個人をその中で生かす方法も常に画策しています。フォーメーションは主に4−4−2フラットを使用します。
指揮するのは周囲からのマークやプレッシャーが強いビッグクラブばかりですが、それをはねのけてリーグ制覇に導く手腕が「優勝請負人」と言われるゆえんです。

最初に率いたチームは、現役時代に在籍していたミランのユースでした。86/87シーズンにリードホルム監督の後を受けて5試合トップで采配を振るいました。
その後現場を離れますが、独自の戦術を展開して一時代を築いたサッキのイタリア代表就任に伴い、ベルルスコーニ・オーナーの要請で91/92シーズンにミランに復帰。58試合無敗記録を作るなどスクデット3連覇に加え、チャンピオンズ・リーグも獲得します。95/96シーズンにも24失点と抜群の守備力を誇り、2シーズンぶりのリーグ制覇を成し遂げました。しかしスペクタクル志向のガリアーニ副会長と衝突して監督の座を追われました。
96/97シーズン、バルセロナに水をあけられ低迷していたR・マドリーの監督に就任し、大胆な改革を施します。サモラーノ、L・エンリケ、M・ラウドルップなどの主力を一挙に放出し、シュケル、ミヤトヴィッチをスペイン国内から、セードルフ、パヌッチ、イルクナー、R・カルロスを国外から獲得。また、厳しい規律を選手に課して緊張感漂うチームを作りました。
そして徐々に選手がなじみ、開幕から24戦無敗を記録。補強したシュケルが24得点、ミヤトヴィッチが14得点を挙げたこともあり、就任1年目にしてリーグ優勝を達成します。その後すぐにスペインを後にしますが、翌シーズンに選手間で連携が深まったR・マドリーのチャンピオンズ・リーグ優勝は、自身の遺産で成し遂げたと言っても過言ではありません。
母国に戻り古巣ミランに復帰。しかしスタメンを固定できずに不安定な戦いに終始し10位に終わりました。ローマでは冬の移籍市場で中田英をペルージャから獲得します。その年は6位に終わりましたが、翌00/01シーズンにサムエルを軸とした堅守と、フィオレンティーナから移籍してきたバティが20得点を挙げる活躍で、チームは18年ぶりにリーグ優勝に輝きました。
2004年、かたくなに就任を否定していたにもかかわらずユヴェントスの監督に就任します。自身の戦術を熟知したエメルソンとゼビナをローマから引き抜き、F・カンナヴァーロ、前線にはイブラヒモヴィッチと攻守にバランスの取れた補強でリーグを制すると、05/06年シーズンは、かつてミランを率いていた時に戦力にならず、その後アーセナルでワールドクラスの選手になったヴィエラ、バイエルンで不動だったR・コヴァチなど守備面を強化してリーグ連覇を達成。ミラン、ローマと合わせて3つの異なるチームでセリエAを制した最初の監督となりました。
しかしクラブの不正行為が発覚し、GMなどが解任されたり一部の選手が事情聴取を受けたりする事態になります。最終的に04/05,05/06シーズンのスクデットは取り消され、クラブはB降格が決定、これに伴い契約を1年残してユヴェントスを去りました。
06/07シーズンにR・マドリーに復帰。カンナヴァーロとエメルソンをユヴェントスから引き抜き、M・ディアッラと合わせて戦術の核とします。新加入のファン・ニステルローイを1トップに据えてロナウドが去り、ベッカムがシーズン途中に移籍を発表したため戦力外にしましたが、2連覇中のバルセロナが低調だったこともあり、粘り強い戦いが実って4年ぶりのリーグ優勝を果たします。しかし守備的な戦いが再び批判を招き、前回と同じく1年で解任されました。
その後現場を離れて解説者をしていましたが、2008年欧州選手権予選で敗退したイングランドに就任し、エリクソン元監督に次ぐ二人目の外国人監督となります。2010年W杯予選では、それまでかみ合わなかったランパードとジェラードの共存を実現させ、ルーニーとの連係で欧州予選最多の34得点と圧倒的な強さで突破します。しかし本大会を前にしてベッカムやファーディナンドが負傷で離脱し、キャプテンのテリーがピッチ外で問題行動を起こすなど不穏な空気が漂います。アメリカとの初戦ではGKグリーンが相手のシュートをキャッチミスして勝ち点3を取り損ね、アルジェリア戦もスコアレスドローとなりますが、スロヴェニアに勝って薄氷でグループリーグを突破します。その後のドイツ戦ではランパードの得点が認められず、多くの若いタレントが繰り出すポゼッションに屈しました。
2012年欧州選手権予選ではハートを正GKに据え、好調のMFパーカーを復帰させます。攻撃面ではA・ヤングやA・ジョンソン、ベントが台頭し、ブルガリアやスイス、ウェールズ、モンテネグロ相手に5勝3分で突破します。しかしルーニーが最終戦でレッドを受け、グループリーグの初戦に出場できなくなりました。2011年2月に人種差別発言容疑で起訴されたテリーを問題視した協会が彼から腕章をはく奪したことに異議を唱え、本大会4ヶ月前に辞任しました。
2012年欧州選手権終了後にロシア代表に就任します。2014年W杯予選はC・モスクワ勢とデニソフを中心に10試合を5失点で終え、ポルトガルを抑えて首位で通過します。本戦では精彩を欠くデニソフに替わりグルシャコフを据えます。初戦はアキンフェエフのキャッチミスで韓国に先制され、引き分けに持ち込むのが精いっぱいとなりました。2002年から様変わりしたベルギーには終了間際に失点して敗れました。2トップにして臨んだアルジェリア戦では早々に先制しますが、後半に追いつかれて引き分け、グループリーグ3位に終わりました。2016年欧州選手権予選はオーストリアやスウェーデンと争いに出遅れた責任を取って退任しています。
2006年11月5日:新規アップ 2015年7月17日更新

93/94ミラン(国内リーグ・CL優勝)
マッサーロ サヴィチェヴィチ
ボバン ドナドーニ
アルベルティニ デサイー
マルディーニ タソッティ
バレージ コスタクルタ
  ロッシ  

96/97レアル・マドリー(国外初のリーグ優勝)
ミヤトヴィッチシュケル
 セードルフ 
ラウールビクトール
 レドンド 
R・カルロスパヌッチ
アルコルタイエロ
 イルクナー 

00/01ローマ(クラブ18年ぶりのリーグ優勝)
デルヴェッキオ バティストゥータ
  トッティ(中田)  
カンデラ カフー
ザネッティ トンマージ
ザーゴ ゼビナ
  サムエル  
  アントニオーリ  

05/06ユヴェントス(国内リーグ2連覇達成も剥奪)
イブラヒモヴィチ トレゼゲ
ネドヴェドカモラネージ
ヴィエラエメルソン
ザンブロッタゼビナ
カンナヴァーロテュラム
 ブッフォン 

06/07レアル・マドリー(4年ぶりのリーグ優勝)
 Vニステルロイ 
 ラウール 
ロビーニョベッカム
エメルソンM・ディアッラ
R・カルロスM・サルガド
カンナヴァーロS・ラモス
 カシージャス 

10イングランド代表(W杯ベスト16)
ルーニー デフォー
ジェラードミルナー
バリーランパード
As・コールジョンソン
アプソンテリー
 ジェームズ 

14ロシア代表(W杯出場)
 ココーリン 
ジルコフサメドフ
ファイズリンシャトフ
 グルシャコフ 
コンバロフエシュチェンコ
イグナシェヴィッチV・ベレズツキ
 アキンフェエフ