マウロ・カモラネージ(Mauro CAMORANESI) | |||||||||||||||||||||||||||||
フルネーム | マウロ・ヘルマン・セラ・カモラネージ | ||||||||||||||||||||||||||||
国籍 | イタリア | ![]() |
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出身地 | ※ | ||||||||||||||||||||||||||||
生年月日 | 1976・10・4 | ||||||||||||||||||||||||||||
身長 | 177cm | ||||||||||||||||||||||||||||
体重 | 70kg | ||||||||||||||||||||||||||||
利き足 | 右 | ||||||||||||||||||||||||||||
ポジション | MF(RMF) | ||||||||||||||||||||||||||||
FK PK | |||||||||||||||||||||||||||||
キャプテン経験 | |||||||||||||||||||||||||||||
代表デビュー | 2003・2・12 ポルトガル戦 |
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代表背番号 | 16 | ||||||||||||||||||||||||||||
W杯メンバー | 06年 10年 | ||||||||||||||||||||||||||||
ニックネーム | |||||||||||||||||||||||||||||
個人タイトル | |||||||||||||||||||||||||||||
チームタイトル | 02/03セリエA | ||||||||||||||||||||||||||||
06FIFAワールドカップ | |||||||||||||||||||||||||||||
所属クラブおよび背番号 | 出場 | 得点 | |||||||||||||||||||||||||||
95/96 サントス・ラグナ(メキシコ) | 13 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
96/97 サントス・ラグナ(メキシコ) | 9 | 7 | |||||||||||||||||||||||||||
97 モンテビデオ・ワンダラーズ(ウルグアイ) | 6 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
97/98 バンフィールド(アルゼンチン) | 38 | 16 | |||||||||||||||||||||||||||
98/99 クルス・アスル(メキシコ) | 33 | 11 | |||||||||||||||||||||||||||
99/00 クルス・アスル(メキシコ) | 31 | 9 | |||||||||||||||||||||||||||
00/01 エラス・ヴェローナ 16 | 22 | 4 | |||||||||||||||||||||||||||
01/02 エラス・ヴェローナ 16 | 29 | 3 | |||||||||||||||||||||||||||
02/03 ユヴェントス 16 | 30 | 4 | |||||||||||||||||||||||||||
03/04 ユヴェントス 16 | 26 | 3 | |||||||||||||||||||||||||||
04/05 ユヴェントス 16 | 36 | 4 | |||||||||||||||||||||||||||
05/06 ユヴェントス 16 | 34 | 3 | |||||||||||||||||||||||||||
06/07 ユヴェントス(2部) 16 | 33 | 4 | |||||||||||||||||||||||||||
07/08 ユヴェントス 8 | 22 | 5 | |||||||||||||||||||||||||||
08/09 ユヴェントス 16 | 19 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
09/10 ユヴェントス 16 | 24 | 3 | |||||||||||||||||||||||||||
10/11 シュツットガルト(ドイツ) 16 | 7 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
10/11 ラヌース(アルゼンチン) 16 | 17 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
11/12 ラヌース(アルゼンチン) 16 | 18 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
12/13 ラシン・クラブ(アルゼンチン) 16 | 29 | 3 | |||||||||||||||||||||||||||
13/14 ラシン・クラブ(アルゼンチン) 16 | 10 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
攻守のバランスが良く、中に切れ込んでシュートを試みたり、一直線に駆け上がって正確なクロスを上げたりする一連の攻撃は目を見張るものがあります。小柄ですがダイナミックな動きで、体格的なハンディをまったく感じさせません。 1995年、国内下部リーグのアルドシービでキャリアが始まります。メキシコへ渡ってトップデビューし、母国バンフィールドでは38試合16得点と好成績を残しました。 他国のビッグクラブが自身の獲得に乗り出しましたが、再びメキシコに渡り、98/99シーズンに11得点、翌シーズンは9得点と得点感覚を披露しました。そしてイタリアへ活躍の場を移し、2000年10月22日ラツィオ戦にてセリエAにデビューします。守備的なサッカーが展開されているイタリアでは得点数は減りましたが、献身的なプレーを見せて高い評価を得ました。 チームのB降格に伴いユヴェントスに引き抜かれます。当初は控えと目されていましたが、右MFザンブロッタの負傷と後の左SB転向により、後釜としてレギュラーに定着します。チャンピオンズ・リーグでは決勝に進出するも途中交代となり、チームの敗退をベンチで見届けました。 06/07シーズンにクラブが八百長によるペナルティでBに降格します。当初は移籍をにおわせていましたが最終的には残り、デル・ピエロ、ネドヴェド、トレゼゲ、ブッフォンらと共にBを制して1年でA復帰を果たしました。復帰後は最多の5得点6アシストでチームを3位に導きますが、その後は度重なるケガや監督交代に伴うシステムの変更も重なり、ベンチスタートが多くなりました。それでも08/09シーズンはミランとのアウェー戦で同点弾を演出し、翌シーズンはアタランタとのアウェー戦で1試合2得点を決めるなど、随所でらしさを見せました。 しかし世代交代により契約を解除され、キャリア初のドイツでのプレーとなります。2010年9月11日フライブルク戦でデビューしますが、定位置を得られませんでした。 その後生まれ故郷アルゼンチンで4シーズン戦って、キャリアを終えています。 代表デビューは2003年の2月12日ポルトガル戦です。アルゼンチンとイタリアの二重国籍でしたが、当時の監督だったトラパットーニの熱心な誘いと、祖父がイタリア人だったこともあり同国代表を選択、1960年代のジョゼ・アルタフィニ以来の帰化選手となりました。 2004年欧州選手権に2試合出場。2006年W杯予選を6試合戦い、アウェーのベラルーシ戦でだめ押し点を挙げました。本大会では序盤こそベンチに座っていましたが、準々決勝以降はスタメンに名を連ねて24年ぶりの優勝に貢献しました。 2008年欧州選手権予選では6試合1得点ルで本大会に出場。本大会では3試合に出場し、準々決勝でスペインにPK負けを喫します。翌年のコンフェデ杯は2試合戦いました。 2010年W杯予選では6試合プレーし、アイルランド戦で得点を挙げて2大会連続出場を果たします。本戦は2試合の途中出場に終わり、グループリーグ敗退となっています。 代表記録 55試合5得点 ※:タンディル(アルゼンチン) 余談 ・所属したことはありませんが、応援しているチームはリーベル・プレートです。 2006年2月10日:新規アップ 2015年7月22日更新 |