ティム・ケイヒル(Tim CAHILL)
フルネーム ティモシー・ジョエル・ケイヒル
国籍 オーストラリア  
出身地 シドニー
生年月日 1979・12・6
身長 180cm
体重 69kg
利き足
ポジション FW(ST)
FK PK PK
キャプテン経験 クラブ
代表デビュー 2004・3・30
南アフリカ戦
代表背番号
W杯メンバー 06年 10年
14年
ニックネーム タイニイ・ティム
個人タイトル 04オセアニア年間最優秀選手(IFFHS)
チームタイトル 15AFCアジアカップ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
97/98 ミルウォール(イングランド3部) 4
98/99 ミルウォール(イングランド3部) 4 36
99/00 ミルウォール(イングランド3部) 4 45 12
00/01 ミルウォール(イングランド3部) 4 41
01/02 ミルウォール(イングランド3部) 4 43 13
02/03 ミルウォール(イングランド3部) 4 11
03/04 ミルウォール(イングランド3部) 4 40
04/05 エヴァートン(イングランド) 17 33 11
05/06 エヴァートン(イングランド) 17 32
06/07 エヴァートン(イングランド) 17 18
07/08 エヴァートン(イングランド) 17 18
08/09 エヴァートン(イングランド) 17 29
09/10 エヴァートン(イングランド) 17 33
10/11 エヴァートン(イングランド) 17 27
11/12 エヴァートン(イングランド) 17 35
12 ニューヨーク・レッドブルズ(アメリカ) 17 12
13 ニューヨーク・レッドブルズ(アメリカ) 17 27 11
14 ニューヨーク・レッドブルズ(アメリカ) 17 23
15 上海申花(中国) 17 28 11
16 杭州緑城(中国) 17 17
16/17 メルボルン・シティ 17 21 11
17/18 メルボルン・シティ 17    
STとしてオフ・ザ・ボールで相手の注意をひきつけ、CFでも低身長を感じさせない跳躍力で相手CBと渡り合います。コーナーフラッグにパンチを浴びせるパフォーマンスが印象的で、代表では点を取った試合は高確率で勝利する不敗神話も築かれつつあります。

シドニー・Uでキャリアをスタートさせると、1998年に父親の母国イングランドに渡り、ミルウォールに加入。5月22日ボーンマツ戦でトップデビューしました。そして翌シーズンより不動のレギュラーとなり、03/04シーズンのFA杯では準決勝サンダーランド戦など通算3得点を挙げる活躍でチーム決勝に導きましたが、惜しくもマンチェスター・Uに敗れました。
04/05シーズンにエヴァートンに移り、2004年8月30日マンチェスター・U戦でプレミアデビュー。翌節マンチェスター・C戦では頭で初得点を挙げますが、ユニフォームを脱いで2枚目のイエローを受けました。しかし復帰後はアウェーのマージーサイドダービーなどチーム最多の11得点を挙げてチャンピオンズ・リーグ出場権を獲得し、オセアニア最優秀選手になりました。
06/07シーズンもダービーで点を取って勝利に貢献、10月にはバロンドール候補者の50人にノミネートされます。しかし翌月11日のアストン・ヴィラ戦でヒザを負傷して2ヶ月戦線から離れ、翌年3月のシェフィールド戦でも左足を骨折するなど相次ぐケガに見舞われました。
その後2012年まで契約を延長し、07/08シーズンはリヴァプールを除くビッグ4の3チームから点を取る勝負強さを見せます。しかし3月22日ウェストハム戦で中足骨を負傷しました。
しかし翌シーズンのストーク戦で点を取って復帰戦を飾ると、09/10シーズンも国内では欧州圏内を争うトッテナムやマンチェスター・Cから点を取ります。また、P・ネヴィルが負傷で離脱した時にはキャプテンマークを巻くなど、クラブの命運を握る存在となりました。
10/11シーズンも10月のバーミンガム戦でキャリア100得点、マージーサイドダービーでも得点、アウェーのブラックプール戦ではプレミアでの50得点を達成しました。通算8シーズンで226試合、クラブ最多の56得点を残して長年過ごしたイングランドを後にしました。
2012年8月3日ヒューストン戦でMLSにデビューし、本拠ポートランド戦で初得点を挙げてチームの逆転勝ちに貢献。2年目以降はアンリと共に得点源となりました。
15シーズンに中国へ移り、3月8日上海申キン戦でリーグデビューします。ホームの広州富力戦からの4試合連続など2ケタ得点を達成しました。
16/17シーズンにメルボルン・Cと3年契約を結び、10月15日メルボルン・Vとのダービー戦でキャリア初のAリーグデビューを自ら得点で飾ります。リターンマッチではレッドカードを受けますが、2ケタ得点と役割を果たしました。

母親の祖国である西サモア代表として14歳の時U−20でプレーしましたが、ルール改正により2004年3月30日南アフリカ戦でオーストラリア代表にデビューします。同年のアテネ五輪にも背番号10でプレーし、セルビア・M戦で得点を挙げてベスト8進出に貢献しました。
フル代表でも、2006年W杯予選では1度のハットトリックを含む6試合7得点と非凡な決定力で地区予選の得点王になり、8大会ぶり2度目の出場権獲得に貢献しました。4月にヒザを故障しましたが本大会には間に合い、初戦の日本戦で途中出場して続けざまに2点を叩き込んでオーストラリア初のW杯得点者となり、マン・オブ・ザ・マッチに選ばれました。
その後母国がアジア枠となり2007年アジア杯に出場。初戦オマーン戦の試合終了間際に起死回生の同点弾を生み出し、アジア杯でも初の得点者となりました。
2010年W杯予選でも日本から2点を取るなど、6試合4得点で2大会連続出場を果たします。本大会では初戦ドイツ戦でシュヴァインシュタイガーへのチャージで一発退場になり、2戦目でチームが引き分け、3戦目に先制点を挙げて勝利したことも無意味となりました。2011年アジア杯も初戦のインド戦で2点を挙げますが、日本の前に初優勝はなりませんでした。
2014年W杯予選は9試合出場。ケネディから1トップを奪い、イラク、オマーン戦の2試合連続など3得点を挙げました。2014年3月14日のエクアドル戦では2得点を挙げ、ダミアン・モリが保持していた最多得点記録を塗り替えました。W杯ではチリ戦でヘディング、オランダ戦では右後方からのクロスを左足ボレーとスペクタクルあふれるプレーを披露しました。
2015年アジア杯は準々決勝中国戦など3得点を挙げて、初優勝に貢献しました。
代表記録

2014年11月18日:新規アップ 2017年6月17日更新