カカウ(CACAU)
フルネーム クラウデミル・ジェロニモ・バレット
国籍 ドイツ  
出身地
生年月日 1981・3・27
身長 179cm
体重 74kg
利き足
ポジション FW(ST)
FK PK  
キャプテン経験  
代表デビュー 2009・5・29
中国戦
代表背番号 19
W杯メンバー 10年
ニックネーム  
個人タイトル  
チームタイトル 06/07ブンデスリーガ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
91 ナシオナル    
99/00 TGミュンヘン(5部)    
00/01 TGミュンヘン(5部)    
01/02 ニュルンベルクU 18
01/02 ニュルンベルク 40 17
02/03 ニュルンベルク 13 27
03/04 シュツットガルト 18 16
04/05 シュツットガルト 18 32 12
05/06 シュツットガルト 18 20
06/07 シュツットガルト 18 32 13
07/08 シュツットガルト 18 27
08/09 シュツットガルト 18 25
09/10 シュツットガルト 18 25 13
10/11 シュツットガルト 18 27
11/12 シュツットガルト 18 33
12/13 シュツットガルト 18
13/14 シュツットガルト 18 20
14 セレッソ大阪(日本) 33 12
15 セレッソ大阪(日本J2) 18 12
15/16 シュツットガルトU(3部)
味方のアタッカーに有効なスペースを作る高質の動きだしに定評があるST。ブラジリアンならではの個人技と、ドイツ育ちならではの利他的なプレーで存在感を示します。

サンパウロ州サント・アンドレ生まれ。父親がアルコール依存症で入退院を繰り返しており、掃除婦である母親の給料も安いため、自身も兄弟と共に早くから働き家計を助けました。
ユース時代は1994年から3年間はパルメイラス、その後2年間はサンパウロに在籍しました。18歳で渡独して5部のTGミュンヘンからキャリアが始まりますが、01/02シーズンにニュルンベルクのリザーブに在籍し、シーズン途中でトップに上がりました。
ブンデスリーガデビューは2001年11月18日のH・ロストック戦で、12月8日レヴァークーゼン戦で初得点を含む2点を挙げるなど、初年度から17試合6得点とまずまずの結果を残します。しかし2年目はわずか2点にとどまり、クラブも2部降格となりました。
これに伴いシュツットガルトへ移籍、初年度はクラーニィとハンガリー代表サビチュの2トップの前にベンチウォーマーとしての位置づけでしたが、2年目には開幕マインツ戦でハットトリックを記録するなどクラーニィに次ぐ12点、UEFA杯でも8試合7得点と好成績を残しました。
06/07シーズンは、終盤の本拠バイエルン戦で2得点を挙げるなどキャリア最多の13得点でクラブ15年ぶりのマイスターシャーレ獲得に貢献しました。国内カップでも5得点を挙げ、古巣ニュルンベルクとの決勝で先制点を挙げるものの退場し、チームも延長戦の末敗れました。
07/08シーズンにチャンピオンズ・リーグに初出場し、レンジャーズとの初戦で点を取りました。翌シーズンは序盤にそけい部を痛めますが、2トップを組んだゴメスに「最もやりやすい」と称賛されました。09/10シーズンはゴメスがバイエルンに引き抜かれたため、再び得点源として活躍、第23節ケルン戦の4得点などキャリア最多タイの13得点をマークしました。
10/11シーズンもケガに悩みますが、終盤のハンブルガーとホッフェンハイム相手に2試合3得点を挙げて意地を見せます。翌シーズンは開幕戦でネットを揺らす好スタートを切りますが、ハルニクやイヴィシェヴィッチと強力なアタッカーの加入で決定機に恵まれませんでした。
その後はケガが相次ぎプレー出来ず、14シーズンにC大阪に入団して8月23日広島戦でJデビュー。5得点を挙げるもJ2に降格し、翌シーズンの途中に退団しました。
その後シュツットガルトに戻り、下部チームで現役生活を終えました。

生まれ故郷はブラジルですが、ドイツで長期間プレーしていたため2009年2月に同国籍を取得、5月29日の中国戦にて僚友ゴメスとの途中交代でデビューを果たします。
2010年W杯予選は2試合プレーしただけでしたが、直前のリーグ戦で結果を残したこともあってメンバーに入ります。本大会にも4試合出てオーストラリア戦で得点を挙げました。
2012年欧州選手権予選は5試合に出ますが、無得点に終わりました。
代表記録 23試合6得点

※:サント・アンドレ(ブラジル)
2014年9月7日:新規アップ 2017年7月15日更新