ハンス=ヨルク・ブット(Hans=Jörg BUTT)
フルネーム ハンス=ヨルク・ブット
国籍 ドイツ  
出身地 ベルリン
生年月日 1974・5・28
身長 191cm
体重 91kg
利き足
ポジション GK
FK PK FK PK
キャプテン経験 クラブ
代表デビュー 2000・6・7
リヒテンシュタイン戦
代表背番号 22 23
W杯メンバー 02年 10年
ニックネーム ヒラメ
個人タイトル  
チームタイトル 09/10ブンデスリーガ
09/10DFBカップ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
93/94 オルデンブルク(3部)
94/95 オルデンブルク(3部) 33
95/96 オルデンブルク(3部) 34
96/97 オルデンブルク(2部) 20
97/98 ハンブルガーSV 22 33
98/99 ハンブルガーSV 1 34
99/00 ハンブルガーSV 1 34
00/01 ハンブルガーSV 1 32
01/02 レヴァークーゼン 1 34
02/03 レヴァークーゼン 1 33
03/04 レヴァークーゼン 1 34
04/05 レヴァークーゼン 1 34
05/06 レヴァークーゼン 1 34
06/07 レヴァークーゼン 1 22
07/08 ベンフィカ(ポルトガル) 24
08/09 バイエルン 22
09/10 バイエルン 22 31
10/11 バイエルン 1 23
11/12 バイエルン 22
「ヒラメ」という愛称で親しまれているGK。もって生まれた身体能力と抜群の反射神経、鋭い先読みで相手のシュートやクロスボールをことごとく抑えます。
PKも見せ場で、相手を高確率でストップさせるだけでなく、キッカーとしても定評があります。

グローセンクネーテンでサッカーをはじめ、その後オルテンブルクへ移籍します。94/95シーズンよりトップチームへ昇格して正GKとしてプレーしました。
97/98シーズンにハンブルガーSVへ移籍し、守備に難があったチームを劇的に変えます。自身が加入する前より失点が10も減り、13位のチームを9位に引き上げたのです。加入2シーズン目よりPKで7ゴールを挙げると、翌シーズンはFWイエボア、プレーガーと並ぶチームトップタイの9ゴールを挙げ、リーグ3位でチャンピオンズ・リーグ出場権を獲得しました。
00/01シーズン、選手層が薄いチームは息切れして58失点と精彩を欠き、1部に残留をするのがやっとでした。チャンピオンズ・リーグでもユヴェントス戦でゴールを挙げたものグループリーグ3位に終わりUEFA杯へ進みますが、ここではローマに敗れました。
01/02シーズン、それまでの守護神マティーセックの後釜としてレヴァークーゼンに迎えられます。そして38失点に抑え、2ゴールを挙げました。しかし第32節の本拠ブレーメン戦でPKを外し、リーグ制覇を逃しました。2シーズン連続出場となったチャンピオンズ・リーグでは再びユヴェントス戦でゴールを挙げると、本業の守備でもノヴォトニーやルシオらと共に安定した守備を見せました。決勝でもヘディングシュートを撃つなど勝利への執念を見せますが、R・マドリーに敗れました。それでも全13試合にフル出場して準優勝の立役者となりました。
02/03シーズンはDFの柱ノヴォトニーが戦線離脱し、残留争いに巻き込まれました。チャンピオンズ・リーグでは10試合に出場しますが、2次リーグで最下位になりました。翌03/04シーズンは盛り返して3位になり、以降UEFA杯出場圏内を狙う安定した成績を残しました。
07/08シーズンからベンフィカでプレー。初の海外移籍となりましたが、ポルトガル代表キムの存在により出場機会を得られずバイエルンへ移籍。カーンの後継者とされるレンジンクのバックアッパーとしての期待を受けると、2年目に正守護神となり、国内2冠に加え13試合戦ったチャンピオンズ・リーグでは準優勝とクラブの躍進に大きく貢献しました。
その後新加入のノイアーを支え、11/12シーズンいっぱいで引退しました。

2000年6月7日のリヒテンシュタイン戦で代表デビュー。2000年欧州選手権と2年後のW杯のメンバーに入りましたが、カーンとレーマンの存在により出場機会はありませんでした。
その後のビッグトーナメントにも召集されず困難な状況が続きましたが、アトラーのケガもあって2010年W杯メンバーに選ばれ、3位決定戦でピッチに立っています。
代表記録 4試合
2006年12月8日:新規アップ 2013年9月13日更新