ハリド・ボラルーズ(Khalid BOULAHLOUZ)
フルネーム ハリド・ボラルーズ
国籍 オランダ
出身地 マースライス
生年月日 1981・12・28
身長 180cm
体重 74kg
利き足
ポジション DF(CB)
FK PK  
キャプテン経験  
代表デビュー 2004・9・3
リヒテンシュタイン戦
代表背番号 3 12 21
W杯メンバー 06年 10年
ニックネーム 人食いハリド
個人タイトル  
チームタイトル 06/07FAカップ
06/07イングランドリーグ・カップ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
01/02 RKC
02/03 RKC 31
03/04 RKC 29
04/05 RKC
04/05 ハンブルガーSV(ドイツ) 21 24
05/06 ハンブルガーSV(ドイツ) 21 28
06/07 チェルシー(イングランド) 9 13
07/08 セビージャ(スペイン) 23
08/09 シュツットガルト(ドイツ) 4 21
09/10 シュツットガルト(ドイツ) 4
10/11 シュツットガルト(ドイツ) 21 16
11/12 シュツットガルト(ドイツ) 21 21
12/13 スポルティング(ポルトガル) 6 11
13/14 ブレンビー(デンマーク) 3 13
14/15 フェイエノールト 23 12
闘争心を前面に出す熱血漢ですが、冷静さを失い無用なファールをするのが欠点です。数字とは裏腹に空中戦に強くテクニックも備え右SBでも機能しますが、俊敏性に欠けます。
元代表DFスタムの後継者と評される実力の持ち主で、敬虔なイスラム教徒でもあります。

モロッコ移民の下に生まれます。他に兄弟が8人もいる大家族で貧しく、アヤックスやハーレム、AZを転々とします。さらに16歳の時に父親を亡くすなど過酷な生活を強いらしました。
2002年にRKCへ移籍し、ヨル監督に見出され3月9日ヘーレンフェーン戦でプロデビュー。2年目にレギュラーになり、3年目はアヤックスやAZからなど4得点を挙げました。
04/05シーズン開幕後にハンブルガーSVへ。9月11日シュツットガルト戦でブンデスリーガデビューし、ビーレフェルトとのアウェー戦で初得点をマーク。ベルギー代表ヴァン・ブイテンとコンビを組みました。初年度はUEFA杯に出場し、国内リーグも1部残留に成功しました。
翌シーズンは3位になってチャンピオンズ・リーグ出場権を獲得、優勝したバイエルンの32をしのぐ30とリーグ最少失点の原動力となります。「人食い」と表されるプレーは2年で16枚のイエローと3枚のレッドを受けたほどの激しさでしたが、サポーターからは信頼を集めました。
06/07シーズン開幕前にチェルシーに約14億円で移籍し、8月21日ブラックバーン戦でプレミアデビュー。ガラスの退団後、テリーやR・カルヴァーリョのバックアッパーを務めました。
07/08シーズンにセビージャへレンタルされた後シュツットガルトへ完全移籍します。2年目はフライブルク戦でハルニクや岡崎と共に得点を挙げ、ヨーロッパリーグ出場権を獲りました。
12/13シーズンにフリーでスポルティングへ移り、リーグで13試合、ヨーロッパリーグで5試合先発しますが1年で放出され、ブレンビーでも力を出し切れずに終わりました。
その後フェイエノールトで同年代のマタイセンや若いコンゴロらと最終ラインを組み、14/15シーズンを最後に引退しました。

U-21でプレーした後ファン・バステン監督にチャンスを与えられ、2004年9月3日のリヒテンシュタイン戦でフル代表デビュー。2006年W杯予選は7試合、本大会では全試合出場しますが、決勝トーナメント1回戦のポルトガル戦でラフプレーを連発して退場になりました。
2008年欧州選手権予選では4試合に出場。本大会にエントリーされていたFWバベルの離脱によりメンバー入りします。大会中は愛娘の突然の不幸にも屈せず全試合に出場しますが、準々決勝で同胞ヒディンク監督率いるロシアに足元をすくわれました。
2010年W杯予選は1試合しかプレーしませんでしたが、2大会連続でメンバーに選ばれ準決勝ウルグアイ戦など2試合出場しました。2年後の欧州選手権も予選と本戦で一度もプレーしませんでしたが、監督から信頼されてファン・デル・ヴィールら若手を支えました。
代表記録 35試合

2007年3月23日:新規アップ 2016年6月8日更新