アルトゥール・ボルツ(Artur BORUC)
フルネーム アルトゥール・ボルツ
国籍 ポーランド
出身地 シードルス
生年月日 1980・2・20
身長 193cm
体重 87kg
利き足
ポジション GK
FK PK PK
キャプテン経験  
代表デビュー 2004・4・28
アイルランド戦
代表背番号 1 12
W杯メンバー 06年
ニックネーム  
個人タイトル  
チームタイトル 05/06〜07/08スコットランドリーグ
06/07スコットランドカップ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
98/99 ポゴン
99/00 レギア・ワルシャワ
00/01 ドルカン
00/01 レギア・ワルシャワ 1
01/02 レギア・ワルシャワ 1
02/03 レギア・ワルシャワ 1 12
03/04 レギア・ワルシャワ 1 26
04/05 レギア・ワルシャワ 1 26
05/06 セルティック(スコットランド) 1 34
06/07 セルティック(スコットランド) 1 36
07/08 セルティック(スコットランド) 1 30
08/09 セルティック(スコットランド) 1 34
09/10 セルティック(スコットランド) 1 28
10/11 フィオレンティーナ(イタリア) 84 26
11/12 フィオレンティーナ(イタリア) 1 36
12/13 サウサンプトン(イングランド) 31 20
13/14 サウサンプトン(イングランド) 31 29
14/15 ボーンマス(イングランド2部) 31 37
15/16 ボーンマス(イングランド) 31 32
16/17 ボーンマス(イングランド) 31 35
17/18 ボーンマス(イングランド) 31
18/19 ボーンマス(イングランド) 31 12
19/20 ボーンマス(イングランド) 31    
素早い反応と的確な判断で1対1やPK戦が得意で、恵まれた上背でハイボールにも対応。セルティックでの経験で成長を遂げ、欧州屈指の実力者となりました。

ポーランド東部のシードルスに生まれ、地元のポゴンでキャリアをスタートさせます。デンマーク代表GKピーター・シュマイケルを目標に練習に励む一方、祖母のアドバイスにより自動車修理工の訓練にも熱心に取り組みました。翌シーズンに首都ワルシャワのクラブに入り、短期間のドルカンへのレンタル移籍を経て、01/02シーズンにプロデビューを果たします。そして徐々に出場機会を得ると、03/04シーズンの最終節ではPKによる得点も記録しました。
05/06シーズン、国外初挑戦にして名門セルティックへ入団。当初はレンタルでしたが、瞬く間に順応して正GKとなってリーグ優勝に貢献し、完全移籍を勝ち取りました。
06/07シーズンに初めてチャンピオンズ・リーグに出場。11月26日ホームのマンチェスター・U戦では1点リードの試合終了間際に相手FWのPKを止めて勝利し、クラブ初の決勝トーナメント進出に貢献、この活躍もあり12月のリーグ月間最優秀選手を受賞しました。年間最優秀選手にもノミネートされましたが、こちらはMF中村俊輔に譲りました。
07/08シーズンのチャンピオンズ・リーグ予備予選S・モスクワ戦では、PKでファインセーブを連発し、2年連続の本戦出場、決勝トーナメント進出と結果を残しました。その後2年でチャンピオンズ・リーグ6試合、ヨーロッパリーグ4試合に出場して欧州に名前を売りました。
10/11シーズンにフィオレンティーナへ移籍。当初はフレイの控えでしたが、彼のケガにより11月7日キエーヴォ戦でセリエAにデビューして正守護神に定着しました。
12/13シーズンにサウサンプトンへ移ります。10月20日ウェストハム戦のプレミアデビュー以降連敗して控えになりましたが、年明けにレギュラーに復帰しました。2年目は開幕からゴールを任され、ロヴレンやワニャマの加入もあって守備力が上がり、8位に躍進しました。
しかし3年目はフォースターの加入もあって2部ボーンマスへ移ります。ここで37試合戦い優勝して1890年に昇格したクラブのプレミア初昇格に貢献。そしてチェルシーやマンチェスター・Uから勝利を挙げるなど16位で残留すると、2年目は一ケタ順位に躍進しました。
しかし3年目は新加入のベゴヴィッチにポジションを譲りました。

2004年4月28日アイルランド戦で代表デビュー。2006年W杯予選にも帯同して終盤のオーストリア戦から3試合連続出場すると、本大会でも全試合ゴールを守りました。
2008年欧州選手権予選では9試合、本大会でも3試合プレーするものの、グループリーグを最下位で終えました。2010年W杯予選もクシュチャクやファビアンスキを抑え6試合ゴールを守りますが突破はなりませんでした。その後はスムダ監督の構想に入れず、開催国となった2012年欧州選手権にはエントリーされませんでした。
2014年W杯予選で復帰して6試合戦いましたが、出場権は逃しました。2年後の欧州選手権予選、本戦ではシュチェスニーとファビアンスキの控えを務めました。
代表記録

余談
・普段は陽気な性格です。
2007年10月23日:新規アップ 2019年8月13日更新