フルネーム クリスティアン・ボラーニョス・ナバーロ
国籍 コスタリカ  
出身地 サンホセ
生年月日 1984・5・17
身長 178cm
体重 67kg
利き足
ポジション MF(RMF)
FK PK FK PK
キャプテン経験  
代表デビュー 2005・5・24
ノルウェー戦
代表背番号
W杯メンバー 06年 14年
18年
ニックネーム ボラ
個人タイトル  
チームタイトル 04,06,07,16,18コスタリカリーグ
05CONCACAFチャンピオンズ・リーグ
10/11,12/13デンマークリーグ
11/12デンマークカップ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
01/02 サプリサ 17
02/03 サプリサ 21
03/04 サプリサ 16
04/05 サプリサ 33
05/06 サプリサ 34
06/07 サプリサ 33
07/08 オーデンセ(デンマーク) 22 22
08/09 オーデンセ(デンマーク) 22
09 スタルト(ノルウェー) 9 25
10 スタルト(ノルウェー) 9 20
10/11 コペンハーゲン(デンマーク) 30 24
11/12 コペンハーゲン(デンマーク) 30 32
12/13 コペンハーゲン(デンマーク) 30 23
13/14 コペンハーゲン(デンマーク) 30 22
14/15 カルタギネス 10
14/15 アル・ガラファ(カタール) 84 11
15/16 サプリサ 2 11
16 バンクーバー・ホワイトキャップス(アメリカ) 7 27
17 バンクーバー・ホワイトキャップス(アメリカ) 7 21
17/18 サプリサ 10
18/19 サプリサ 2 41
19/20 サプリサ 2    
両足を駆使する卓越したテクニックでゲームメークをこなすと同時に、無尽蔵のスタミナで守備にも奔走するなど、プレー全体にスピード感がみなぎるコスタリカ代表MFです。

サプリサの下部組織で技術を高めて2001年にトップへ昇格し、国際舞台での活躍を経て国内リーグデビューを果たします。1年目から重宝され、4年目にレギュラーを獲得しました。
また、メキシコの強豪UNAMとのチャンピオンズ・リーグ決勝を制して2005年のクラブW杯出場権を獲得。そして主に左サイドで3試合プレーし、カズ擁するシドニーFC戦でゴールを決めました。リヴァプール相手には及ばなかったものの、印象深いプレーでベニテス監督の目に留まり、トライアルを受けるために10日間アンフィールドで過ごしました。
残念ながら契約には至らず、チャールトンからのオファーも代表でのプレーが足りないため移籍には至りませんでした。その後国内リーグ連覇を果たすなど自身のプレーは国内でとどまるレベルにないことは明白であり、07/08シーズンより北欧に活躍の場を移します。
3年契約で入ったオーデンセでは結果が出ませんでしたが、スタルトではストレームスゴトセトとのデビュー戦での2ゴールなど自己最多記録を作り、2年目も6ゴールを挙げました。
コペンハーゲンの1年目は24試合で6ゴールを挙げてリーグ3連覇に貢献。チャンピオンズ・リーグでも8試合に出場してクラブ初の決勝トーナメント進出を果たします。4年目もビッグイヤーに挑みましたが、R・マドリー、ガラタサライ、ユヴェントスと相手に恵まれませんでした。
2014年W杯終了後は国内とカタールを往復して16シーズンにバンクーバーに入団。3月6日モントリオール戦でMLSにデビューし、3連発など計5ゴールを挙げました。
17/18シーズンにサプリサに復帰。2年目は本拠カルタヒネス戦から2本のPKを含む3試合連続ゴールなど、自己最多の9ゴールを挙げました。

2001年のU−17世界選手権に4試合出場し、グループリーグを突破します。フル代表デビューは4年後の5月24日ノルウェー戦で、2006年W杯予選は4試合のみの出場ながら本大会メンバーに選出され、ドイツとの開幕戦など2試合に出場しました。
2010年W杯予選は9試合戦うも本戦への切符は逃しました。しかし2014年大会の予選は12試合戦って出場権を得ます。そして優勝経験のある3ヶ国が並ぶグループを首位で通過し、最終的にベスト8と大躍進を遂げるチームの左サイドで存在感を放ちました。
2016年のコパ・アメリカCには3試合出場しました。2018年W杯予選は14試合に出場してパナマ戦から3試合連続で計4ゴールを挙げました。2018年3月に右足首を骨折しますが本戦に間に合い、セルビア戦とブラジル戦でプレーしました。
代表記録

余談
・2005年クラブW杯ではサンパウロのセニ、リヴァプールのジェラードに次ぎ、ブロンズボール賞を受賞しています。

※:クリスティアン・ボラーニョス(Christian BOLANOS)
2014年6月3日:新規アップ 2019年6月20日更新