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フルネーム ケヴィン=プリンス・ボアテング
国籍 ガーナ
出身地 ※2
生年月日 1987・3・6
身長 185cm
体重 86kg
利き足
ポジション MF(OMF)
FK PK PK
キャプテン経験  
代表デビュー 2010・6・5
ラトビア戦
代表背番号 9 23
W杯メンバー 10年 14年
ニックネーム  
個人タイトル 06ドイツ年間最優秀若手選手
チームタイトル 07/08イングランドリーグ・カップ
10/11セリエA
所属クラブおよび背番号 出場 得点
04/05 ヘルタ・ベルリンU(ドイツ3部) 18
05/06 ヘルタ・ベルリンU(ドイツ3部)
05/06 ヘルタ・ベルリン(ドイツ) 27 21
06/07 ヘルタ・ベルリンU(ドイツ3部)
06/07 ヘルタ・ベルリン(ドイツ) 17 22
07/08 トッテナム(イングランド) 17 13
08/09 トッテナム(イングランド) 17
08/09 ドルトムント(ドイツ) 22 10
09/10 ポーツマス(イングランド) 23 22
10/11 ミラン(イタリア) 27 26
11/12 ミラン(イタリア) 27 19
12/13 ミラン(イタリア) 10 29
13/14 シャルケ(ドイツ) 9 28
14/15 シャルケ(ドイツ) 9 18
15/16 ミラン(イタリア) 72 11
16/17 ラス・パルマス(スペイン)    
強いフィジカルとスピードで攻守にわたってチームにダイナミズムをもたらし、両足からの強烈ミドルも武器です。ドイツ代表のジェローム・ボアテングは異母兄弟にあたります。

ガーナ人の父親とドイツ人の母親の下ベルリンで生まれます。1994年から地元H・ベルリンで練習を積み、18歳で迎えた05/06シーズンにトップへ昇格。8月13日本拠のフランクフルト戦でブンデスリーガにデビューし、初得点もアウェーの同チーム戦で挙げました。チャンピオンズ・リーグ出場権を争うブレーメンからも得点を挙げましたが、勝ち点差1で及ばず、UEFA杯出場権にとどまりました。翌シーズンはオデンセ戦で同大会での初得点もマークしています。
07/08シーズンにトッテナムへ移籍。11月3日ミドルスブラ戦でプレミアデビューしますが、ヨル監督が退団し、モドリッチやベントリーの加入した後は出場機会が限られました。
2年目の途中にドルトムントへレンタル移籍されるも途中出場が多く、09/10シーズンにプレミアに戻ります。トッテナム戦ではリーグとFA杯準決勝と双方で点を取って古巣への恩返しを果たし、大敗を喫しながらもマンチェスター・Uからも点を取るなど手ごたえをつかみます。しかしFA杯決勝チェルシー戦では相手のドイツ代表主将バラックと接触、彼は右ヒザじん帯を損傷しW杯を棒に振ることとなります。また、自らもPKを止められタイトル獲得はなりませんでした。
2010年W杯の後に一度ジェノアへ入るも共同保有するミランへレンタルされます。8月29日レッチェ戦のセリエAデビュー以降、百戦錬磨の面々がそろう中盤でコンスタントに出場。一度ケガで戦列を離れますが、復帰後に上位を争うナポリから得点を挙げて勝利するなど7年ぶりのスクデット獲得に貢献。チャンピオンズ・リーグでも7試合プレーするなど欠かせない存在となり、ミランが保有権を買い取りました。2年目はレッチェ戦でハットトリックを決めるも負傷で戦線を離れ、ユヴェントスやローマと重要な試合でレッドを受けるなど不完全燃焼に終わりました。
3年目はセードルフの退団に伴い10番を託され、大幅にメンバーが変わったチームの中心となります。イブラの退団で動きが制限されたものの、チャンピオンズ・リーグではバルセロナから、リーグではラツィオからそれぞれ得点を奪ってチームを勝利に導きました。
13/14シーズンにシャルケへ移籍。チャンピオンズ・リーグはPSVとのプレーオフで2点を取り、本戦でもS・ブカレスト相手に追加点を挙げました。国内リーグではマイヤーやドラクスラーなど2列目の後でプレーし、マインツ戦の決勝点やブレーメン戦の2得点と印象を残しました。しかし2年目は精神面のもろさを露呈し、追放処分になりました。
15/16シーズンの冬にミランへ戻りますが、バックアッパーにとどまりました。翌シーズンにラス・パルマスへ移籍しています。

2001年のU−15を皮切りにドイツ各年代の代表に選ばれます。2005年のU−19欧州選手権ギリシャ戦では、センターサークルから超ロングシュートを決めました。
フル代表としては父親の祖国にて、2010年6月5日ラトビア戦でデビュー。直後のW杯では5試合プレーし、決勝トーナメント初戦のアメリカ戦では先制点を挙げてベスト8に進出しました。
クラブに専念するため2011年11月から代表から離脱しますが、エッシェンらと共に復帰、W杯予選で唯一出場したエジプト戦で得点を決めました。本大会は2試合戦った後、ポルトガルとの3戦目を前に監督への暴言で無期限の出場停止処分を受けました。
代表記録

※1:ケヴィン=プリンス・ボアテング(Kevin-Prince BOATENG)
※2:ベルリン(ドイツ)

2011年4月11日:新規アップ 2016年7月31日更新