ローラン・ブラン(Laurent BLANC)
フルネーム ローラン・ブラン
国籍 フランス  
出身地 アレ
生年月日 1965・11・19
身長 192cm
体重 88kg
利き足
ポジション DF(CB)
FK PK PK
キャプテン経験 クラブ
代表デビュー 1989・2・7
アイルランド戦
代表背番号
W杯メンバー 98年
ニックネーム ロロ
個人タイトル 90フランス年間最優秀選手
チームタイトル 88UEFAU−21欧州選手権
89/90,95/96フランスカップ
95/96リーグアン
96/97コパ・デル・レイ
96/97UEFAカップウィナーズ・カップ
98FIFAワールドカップ
00UEFA欧州選手権
02/03プレミアリーグ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
82/83 モンペリエ(3部)
83/84 モンペリエ(2部) 15
84/85 モンペリエ(2部) 32
85/86 モンペリエ(2部) 29
86/87 モンペリエ(2部) 34 18
87/88 モンペリエ 24
88/89 モンペリエ 35 15
89/90 モンペリエ 36 12
90/91 モンペリエ 38 14
91/92 ナポリ(イタリア) 31
92/93 ニーム 29
93/94 サンテティエンヌ 33
94/95 サンテティエンヌ 37 13
95/96 オセール 23
96/97 バルセロナ(スペイン) 15 28
97/98 マルセイユ 5 31 11
98/99 マルセイユ 5 32
99/00 インテル(イタリア) 5 34
00/01 インテル(イタリア) 5 33
01/02 マンチェスター・ユナイテッド(イングランド) 6 29
02/03 マンチェスター・ユナイテッド(イングランド) 5 19
スピードこそ劣るものの恵まれた体格を持ち、的確なポジショニングや状況判断などのインテリジェンス、リーダーシップで最終ラインで中心となります。また、高度な技術、正確なパス、ヘディングなど攻撃力もあり、「プレジデント」の異名をとるフランス史上屈指のリベロです。

83/84シーズン、当時2部のモンペリエにて18歳でプロデビューします。攻撃的MFでプレーしていましたが、後の代表監督ジャケによってCBにコンバートされます。
86/87シーズンはカメルーン代表ミラと並ぶ18得点を挙げて昇格に大きく貢献し、翌シーズンの8月17日トゥールーズ戦でリーグアンデビューします。チームはJ・セーザルの加入などで層が厚くなりますが、3年連続2ケタ得点や国内カップ制覇と足跡を残しました。
ナポリではフェラーラとのコンビで4位になりますが、1年で退団しました。ニームやサンテティエンヌでは活躍がチームの成績につながりませんでした。95/96シーズンのオセールでは満足な活躍ができませんでしたが、クラブ初のリーグと国内カップの2冠を達成しました。
バルセロナではカップウィナーズ杯を獲りましたが、国内リーグでは2位に終わりました。また、ポペスク、ナダル、F・コウトと競争が激しく出番は30試合に届きませんでした。マルセイユでは11得点を挙げて11位だったチームを4位に、2年目には2位に押し上げました。
99/00シーズンにインテルに入団します。ベルゴミの引退もあって最終ラインで不動の存在となりますが、タイトルには手が届きませんでした。
01/02シーズン途中にスタムを放出したマンチェスター・Uへ移籍します。2年目はファーディナンドの加入でサブに回りましたが、リーグ優勝で有終の美を飾りました。
その後は指導者に転身し、ボルドー、PSG、フランス代表を率いています。

1988年のU−21欧州選手権を制し、翌年の2月7日アイルランド戦で代表デビュー。1992年欧州選手権ではボリやカソニと3バックを組みますが、グループリーグで敗退しました。1996年大会ではブルガリア戦でPKを決めますが、準決勝で姿を消しました。
1998年W杯では、決勝トーナメント初戦パラグアイ戦でW杯初のゴールデンゴールを挙げるなど5試合プレー、準決勝クロアチア戦で相手DFビリッチにひじ打ちを与えたとしてレッドカードをもらい決勝の舞台を踏むことはできませんでしたが、デサイー、テュラム、リザラズと組んだ4バックは抜群の安定感を見せ、わずか2失点で母国初の世界制覇を果たしたのです。
2000年欧州選手権では5試合戦います。初戦のデンマーク戦でチーム初得点を挙げるなど、W杯との連覇を果たして黄金時代の中心的存在となりました。
代表記録 97試合16得点

余談
・代表とマンチェスター・Uの同僚GKバルテズのスキンヘッドに試合前にキスをすることが、勝利の儀式として定着しました。
2017年2月23日:新規アップ