カリム・ベンゼマ(Karim BENZEMA)
フルネーム カリム・ベンゼマ
国籍 フランス
出身地 ブロン
生年月日 1987・12・19
身長 183cm
体重 73kg
利き足
ポジション FW(CF)
FK PK FK PK
キャプテン経験  
代表デビュー 2006・3・28
オーストリア戦
代表背番号 9 10 20
W杯メンバー 14年
ニックネーム  
個人タイトル 07/08リーグアン年間最優秀選手(UNFP)
07/08リーグアン得点王
07/08リーグアンベストイレブン(UNFP)
11フランス年間最優秀選手(フランスフットボール誌)
チームタイトル 04/05〜07/08リーグアン
04UEFAU−17欧州選手権
10/11,13/14コパ・デル・レイ
11/12,16/17ラ・リーガ
14,16〜18UEFAチャンピオンズ・リーグ
16FIFAクラブワールドカップ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
04/05 リヨン 28
05/06 リヨン 18 13
06/07 リヨン 18 21
07/08 リヨン 10 36 20
08/09 リヨン 10 36 17
09/10 レアル・マドリー(スペイン) 11 27
10/11 レアル・マドリー(スペイン) 9 33 15
11/12 レアル・マドリー(スペイン) 9 34 21
12/13 レアル・マドリー(スペイン) 9 30 11
13/14 レアル・マドリー(スペイン) 9 35 17
14/15 レアル・マドリー(スペイン) 9 29 15
15/16 レアル・マドリー(スペイン) 9 27 24
16/17 レアル・マドリー(スペイン) 9 29 11
17/18 レアル・マドリー(スペイン) 9 32
18/19 レアル・マドリー(スペイン) 9 36 21
19/20 レアル・マドリー(スペイン) 9    
柔らかいタッチと両足を扱う器用さでタメを作り、正確で強烈なシュート、ヘディングやポジショニングセンスも秀逸で、FWに必要な要素を高いレベルでそろえています。基本的に中央に位置していますが、サイドに開くプレーも見せます。

アルジェリア移民の親の下、リヨンに近いブロンに10人兄弟として生まれます。8歳でサッカーを始め、翌年にリヨンの育成施設に入団します。その後U−16で38ゴールを挙げるなど、所属するユースチームに数多くの栄冠をもたらしました。
U−18チームに進み2004年11月にトップに昇格すると、2005年1月15日メッツ戦でリーグアンにデビューして決勝点をアシストします。12月6日、チャンピオンズ・リーグのローセンボリ戦でトップチーム初ゴールを挙げるなど、早くも大舞台で結果を出しました。
06/07シーズンは開幕戦でゴールを挙げ、リーグ3連覇も控えに終わります。しかし翌シーズンはヴィルトールの移籍やフレッヂ、バロシュの不調などで開幕からゴールを量産、メッツ戦でのハットトリックなど20ゴールで得点王に輝きました。チャンピオンズ・リーグでもマンチェスター・U戦や決勝トーナメント進出がかかったレンジャーズ戦など5ゴールを挙げました。
翌シーズンもチャンピオンズ・リーグではフィオレンティオーナやバイエルンといった強敵など5ゴールを決めて16強になります。国内でも開幕トゥールーズ戦やマルセイユ戦含め3度の1試合2ゴールなど17ゴールと役割を果たす、チームの連覇は7で途切れました。
09/10シーズンにR・マドリーと6年契約を結び、8月29日デポルティボ戦でリーガデビュー。チャンピオンズ・リーグでもミランからゴールを奪いますが、イグアインを脅かすには至りませんでした。しかし2年目はチャンピオンズ・リーグのオセール戦でハットトリックを決めると、古巣リヨンからも2試合2ゴールを挙げてクラブの苦手意識を払しょくさせます。国内リーグでも3試合連続2ゴールに、最終節アルメリア戦で2ゴールを挙げ8−1で勝利するなど15ゴールをマーク。国内カップはレバンテ戦でハットトリックを決め、クラブ18年ぶりの優勝となりました。
3年目はC・ロナウド、イグアインに次ぐ21ゴールを挙げ、クラブ4年ぶりのリーグ優勝に役割を果たします。チャンピオンズ・リーグでも10試合7ゴール5アシストと文句なしの成績を残しますが、バイエルンとの準決勝では仕事ができず敗れました。
4年目はベンチスタートが増えてゴール数が半減しますが、アシストを初めて2ケタに乗せました。国内カップでは7試合で4ゴールを挙げましたが、ライバルA・マドリーの前に準優勝に終わりました。チャンピオンズ・リーグは10試合に出場、マンチェスター・C相手に2戦連発して敗退に追い込み、グループリーグに続くドルトムント相手の準決勝でも2ndレグで先制点を決めてS・ラモスへアシストしますが、1stレグでの4失点が響いて敗退しました。
5年目はC・ロナウド、ベイルと3トップを組みます。セビージャ戦での2ゴール2アシストやマドリード・ダービーでの先制点、敗れはしたもののクラシコの2ゴールなど17ゴール9アシストと好成績を挙げるものの、3位に終わります。チャンピオンズ・リーグでは11試合に出場し、ガラタサライ戦で2ゴール1アシストと好スタートを切ると、シャルケとの決勝トーナメント初戦は2ゴール2アシストで大勝、バイエルンとの準決勝1stレグで決勝点を挙げました。ドルトムントも含めてドイツ勢を立て続けに撃破し、クラブ10度目の欧州制覇に大きく貢献しました。6年目もバルサ戦での先制点など国内リーグでの得点とアシストは共に2ケタとなりました。チャンピオンズ・リーグもリヴァプール戦など9試合で6ゴールを挙げますが、準決勝でユヴェントスに敗れました。
7年目もR・バジェカーノ戦でのハットトリックや、クラシコでの同点弾などネイマールと並ぶリーグ4位タイの24ゴールをマーク。チャンピオンズ・リーグでもマルメ戦でのC・ロナウドとのハットトリックなど、ベイルと合わせた「BBC」でクラブ11回目となる欧州制覇に貢献しました。8年目はエイバルやセルタ戦など11ゴール5アシスト、チャンピオンズ・リーグでもドルトムント戦の2ゴールやナポリ戦など5ゴールを挙げ、2連発したクラブW杯と合わせて3冠となりました。
9年目は加入初年度以来の一ケタゴールとなりますが、10アシストしました。チャンピオンズ・リーグではバイエルン戦で2ゴールを挙げ、リヴァプールとの決勝では相手GKのスローに足を当ててそのまま先制ゴールとなり、チームの3連覇に貢献しました。
10年目はビルバオ戦のハットトリックなど21ゴールで、退団したC・ロナウドの穴を埋めました。チャンピオンズ・リーグも4ゴールと及第点でしたが、R16止まりでした。

2004年5月のU−17欧州選手権ではナスリやベン・アルファらと共に優勝に貢献し、U−18代表では14試合12ゴールを挙げ、早くから決定力を見せます。
2006年3月28日オーストリア戦でフル代表デビューし、ゴールをマーク。同年のW杯出場はなりませんでしたが、2008年欧州選手権予選から定着して5試合で2ゴールを挙げます。さらなる飛躍が期待された本大会でしたが、ノーゴールに終わりました。
2010年W杯予選では8試合2ゴールを挙げましたが、本大会メンバーから落選します。2012年欧州選手権予選は7試合で3ゴールとFW最高の成績を残しますが、本大会ではウクライナ戦での2アシスト以外見せ場を作れず、準々決勝で終わりました。
2014年W杯予選は9試合で2ゴールだけでしたが、ウクライナとのプレーオフでは2ndレグでの決勝点で母国を逆転勝利に導き求心力を取り戻しました。本戦ではホンジュラス戦で相手のオウンゴール含め全ゴールに絡み、スイス戦と計3ゴールを挙げました。
2016年欧州選手権予選は3試合戦いアルメニア戦で2ゴールを挙げますが、ヴァルビュエナへの恐喝に関与した疑いでチームから外されました。
代表記録

2007年12月14日:新規アップ 2019年10月3日更新