ロイ・ベントレー(Roy BENTLEY) | |||||||||||||||||||||||||||||
フルネーム | ロイ・トーマス・フランク・ベントレー | ||||||||||||||||||||||||||||
国籍 | イングランド | ||||||||||||||||||||||||||||
出身地 | ブリストル | ||||||||||||||||||||||||||||
生年月日 | 1924・5・17 | ||||||||||||||||||||||||||||
身長 | 178cm | ||||||||||||||||||||||||||||
体重 | 78kg | ||||||||||||||||||||||||||||
利き足 | 右 | ||||||||||||||||||||||||||||
ポジション | FW(ST) | ||||||||||||||||||||||||||||
FK PK | |||||||||||||||||||||||||||||
キャプテン経験 | クラブ | ||||||||||||||||||||||||||||
代表デビュー | 1949・5・13 スウェーデン戦 |
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代表背番号 | |||||||||||||||||||||||||||||
W杯メンバー | |||||||||||||||||||||||||||||
ニックネーム | |||||||||||||||||||||||||||||
個人タイトル | |||||||||||||||||||||||||||||
チームタイトル | 54/55イングランド・フットボールリーグ | ||||||||||||||||||||||||||||
所属クラブおよび背番号 | 出場 | 得点 | |||||||||||||||||||||||||||
45/46 ブリストル | |||||||||||||||||||||||||||||
46/47 ニューカッスル(2部) | 36 | 18 | |||||||||||||||||||||||||||
47/48 ニューカッスル(2部) | 12 | 3 | |||||||||||||||||||||||||||
47/48 チェルシー | 14 | 3 | |||||||||||||||||||||||||||
48/49 チェルシー | 40 | 20 | |||||||||||||||||||||||||||
49/50 チェルシー | 39 | 17 | |||||||||||||||||||||||||||
50/51 チェルシー | 38 | 8 | |||||||||||||||||||||||||||
51/52 チェルシー | 32 | 12 | |||||||||||||||||||||||||||
52/53 チェルシー | 37 | 12 | |||||||||||||||||||||||||||
53/54 チェルシー | 41 | 21 | |||||||||||||||||||||||||||
54/55 チェルシー | 41 | 22 | |||||||||||||||||||||||||||
55/56 チェルシー | 38 | 14 | |||||||||||||||||||||||||||
56/57 チェルシー | 4 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
56/57 フルハム(2部) | 32 | 14 | |||||||||||||||||||||||||||
57/58 フルハム(2部) | 31 | 7 | |||||||||||||||||||||||||||
58/59 フルハム(2部) | 35 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
59/60 フルハム | 29 | 2 | |||||||||||||||||||||||||||
60/61 フルハム | 15 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
61/62 QPR(3部) | 29 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
62/63 QPR(3部) | 16 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
抜群の位置取りやこぼれ球への反応、力強いヘディングやミドルに加え、フリーランニングで味方の攻撃を促す点取り屋ですが、CBとしてもプレーできる適応能力も持っています。 第二次大戦で海軍に在籍した時期もありましたが、ブリストルでキャリアを始めます。2部ニューカッスル時代は19ゴールを挙げるシャクルトンやJ・ミルバーン、ワイマンとの攻撃陣でリーグ5位になりました。また、FA杯でもベスト4になっています。 2年目の途中にチェルシーに引き抜かれ、26ゴールを挙げたT・ロートンの後釜としての期待を受けます。ニュージーランド代表アームストロングやスコットランド代表B・キャンベルなどと攻撃陣を形成。49/50シーズンのFA杯準々決勝では豪快なミドルでマンチェスター・Uを下すなどベスト4になり、51/52シーズンもベスト4になりました。54/55シーズンには古巣ニューカッスルからのハットトリックやウルヴズとの天王山での2ゴールなど自己最多の22ゴールを挙げ、キャプテンとしてチームを初優勝に導きました。最終的にオスグッドと並ぶチェルシー歴代3位タイの公式戦150ゴール(後にランパードとドログバに抜かれて5位)を挙げました。 そしてロンドン西部のフルハムに移ります。序盤は点取り屋としてMFハインズのアシストを受け、2年目にFA杯ベスト4になりましたが、3年目からCBとしてG・コヘンらと共に最終ラインに君臨、2部を2位で終えて1部に昇格しました。近隣の3部QPRでもDFを務め、62/63シーズンをもって引退。その後監督としてレディングやスウォンジーを指導しています。 1949年5月13日スウェーデン戦で代表デビューします。1950年W杯予選はスコットランド戦で1得点を決め、本戦で2試合の出場機会を得ています。 代表記録 12試合9得点 2014年11月3日:新規アップ |