メハディ・ベナティア(Mehdi BENATIA)
フルネーム メハディ・アミーヌ・エル・ムタッキ・ベナティア
国籍 モロッコ※1  
出身地 ※2
生年月日 1987・4・17
身長 190cm
体重 92kg
利き足
ポジション DF(CB)
FK PK  
キャプテン経験 代表
代表デビュー 2008・11・19
ザンビア戦
代表背番号
W杯メンバー 18年
ニックネーム  
個人タイトル  
チームタイトル 14/15,15/16ブンデスリーガ
15/16DFBカップ
16/17,17/18セリエA
16/17,17/18コッパ・イタリア
所属クラブおよび背番号 出場 得点
04/05 マルセイユB(フランス4部) 15
05/06 マルセイユB(フランス5部)
06/07 トゥール(フランス2部) 21 29
07/08 ロリアンB(フランス5部) 17
08/09 クレルモン・フット(フランス2部) 4 27
09/10 クレルモン・フット(フランス2部) 4 30
10/11 ウディネーゼ(イタリア) 17 34
11/12 ウディネーゼ(イタリア) 17 27
12/13 ウディネーゼ(イタリア) 17 19
13/14 ローマ(イタリア) 17 33
14/15 バイエルン(ドイツ) 5 15
15/16 バイエルン(ドイツ) 5 14
16/17 ユヴェントス(イタリア) 4 15
17/18 ユヴェントス(イタリア) 4 20
18/19 ユヴェントス(イタリア) 4
18/19 アル・ドゥハイル(カタール) 4
19/20 アル・ドゥハイル(カタール) 4    
1対1の対応はもちろん大柄ながらスピードもあり、インターセプトやラインコントロールといった頭脳に両足からの正確なパスも備えた総合力の高いCBです。

フランスのクールクロンヌにて、モロッコ人の父親とアルジェリア人の母親の下に生まれます。アンリやアネルカらを輩出したクレールフォンテーヌで練習に励んだ後、ギャンガンやマルセイユのリザーブでプレーし、後者とプロ契約に至るも出場はありませんでした。
その後レンタル生活が続きます。トゥールで活躍してロリアンでヒザを痛めますが、クレルモン・Fでは同胞MFハムダニと共に戦い、モンペリエとカーン戦で点を取りました。
10/11シーズンにウディネーゼに引き抜かれ、9月11日インテル戦でセリエAにデビュー。GKハンダノヴィッチやイスラ、アルメロらと守備を安定させ、3点決めて上位進出に貢献。2年目はアーセナルの前にチャンピオンズ・リーグのグループリーグに進めませんでしたが、ヨーロッパリーグでは大会を制するA・マドリーから得点を挙げてチームを勝利に導きました。リーグでも27試合戦い4位となりました。3年目はブラガの前に再びチャンピオンズ・リーグ出場はならず、ユヴェントスにも4失点しましたが、ミラン相手に味方をアシストして勝利に貢献しました。
13/14シーズンにローマへ移り、マイコン、ドド、L・カスタンとブラジル人が並ぶ最終ラインの支柱となり、攻撃面でも自己最多の5得点とリーグ屈指のCBになりました。
14/15シーズンにバイエルンに引き抜かれ、9月27日ケルン戦でブンデスリーガにデビューします。引退したファン・ブイテンの5番を引き継ぎ、J・ボアテングやダンテとコンビを組みますが、戦術理解とケガに苦しみ、フル稼働でのリーグ優勝はなりませんでした。チャンピオンズ・リーグでは7試合戦ってバルサから点を取りましたが、勝利に結びつきませんでした。
16/17シーズンにユヴェントスへレンタルされます。「BBC」の前にレギュラーはなりませんでしたが、15試合のうち14試合に先発して2冠を達成。2年目のリーグ戦はローマ戦で決勝点、カップ戦ではミランとの決勝でドッピエッタを見せてタイトル防衛に貢献しました。
18/19シーズンの途中にカタールリーグへ参戦しています。

U−18はフランス代表としてベンゼマ、ナスリ、ベン・アルファらと共に将来を嘱望されましたが、U−20からモロッコ代表となります。2008年11月19日ザンビア戦でデビューを果たし、2010年W杯予選で5試合、2014年W杯予選は2試合戦いました。
主将として臨んだ2018年W杯予選は7試合プレーし、コートジボワール戦で得点を挙げて勝利しました。5大会ぶりの出場となった本戦はイランとポルトガルに連敗しました。
アフリカ選手権は2012年に2試合、13年に3試合、17年に4試合出ました。
代表記録

※1:フランス国籍もあり
※2:クールクロンヌ(フランス)
2014年9月17日:新規アップ 2019年8月15日更新