マリオ・バスラー(Mario BASLER)
フルネーム マリオ・バスラー
国籍 ドイツ
出身地
生年月日 1968・12・18
身長 186cm
体重 73kg
利き足
ポジション MF(OMF)
FK PK FK
キャプテン経験  
代表デビュー 1994・3・23
イタリア戦
代表背番号 13 21
W杯メンバー 94年
ニックネーム スーパーマリオ
個人タイトル 94/95ブンデスリーガ得点王
チームタイトル 93/94,97/98DFBカップ
96UEFA欧州選手権
96/97,98/99ブンデスリーガ
03/04カタールカップ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
87/88 カイザースラウテルン
88/89 カイザースラウテルン
89/90 ロット=ヴァイス・エッセン(2部) 20
90/91 ロット=ヴァイス・エッセン(2部) 34
91/92 ヘルタ・ベルリン(2部) 30
92/93 ヘルタ・ベルリン(2部) 44 12
93/94 ブレーメン 29
94/95 ブレーメン 33 20
95/96 ブレーメン 7 30 11
96/97 バイエルン 14 28
97/98 バイエルン 14 22
98/99 バイエルン 14 27
99/00 バイエルン 14
99/00 カイザースラウテルン 30 18
00/01 カイザースラウテルン 30 21
01/02 カイザースラウテルン 30 29
02/03 カイザースラウテルン 30 23
03/04 アル・ラーヤン(カタール) 15
ピッチ外での言動が議論を呼ぶことも多いものの、速くて巧みなドリブル、絶妙なパス、強烈なシュートに得点力も兼備した攻撃センスあふれるオフェンシブハーフ。ファーストネームにちなみ「スーパーマリオ」の異名をとります。

1974年に地元のノイシュタットに入り、約10年間練習に励みます。その後カイザースラウテルンの下部組織に移り、3年間の下積みを終えて87/88シーズンにトップチームに昇格したものの、2年間でわずか1試合の出場にとどまりました。
しかしRWエッセンにて浮上のきっかけを掴むと、H・ベルリンでは2年目に44試合出場12ゴールと自己最高の成績をおさめ、ブンデスリーガを制したブレーメンに引き抜かれます。
オーストリア代表ヘルツォークとのコンビを確立させ、1年目に自身初タイトルとなる国内カップを手中にすると、2年目にリーグ得点王、3年目にも11ゴールを挙げるなど、ニュージーランド代表ルーファーや、ドイツ代表ボーデといったFWに引けを取らない活躍を見せました。
そして元同僚ヘルツォークと入れ替わる形(95/96シーズンで退団)でバイエルンに移籍します。トラパットーニ監督からショルとの中盤を任され、クリンスマン、エウベル、ヤンカーといったストライカーに好アシストを見せて3年連続でタイトルを獲りました。
98/99シーズンのチャンピオンズ・リーグでは、カイザースラウテルンとの準々決勝2ndレグ、D・キエフとの準決勝2ndレグでゴールを挙げ、マンチェスター・Uとの決勝戦でもFKからゴールを生みましたが、ロスタイムで逆転負けを喫しました(カンプ・ノウの悲劇)。
そして欧州で対戦したカイザースラウテルンに入団。レーハーゲル監督とはブレーメン時代以来の再会となり、ブルガリア代表フリストフ、スイス代表スフォルツァ、フランス代表ジョルカエフとの高質な中盤は、台頭した若きFWクローゼの成長を促す契機となりました。
03/04シーズンを最後に引退し、指導者に転身しています。

1994年3月23日イタリア戦でデビューします。しかしヘスラー、メラー、ショルといった選手層の厚さに阻まれ直後のW杯では1試合の途中出場に終わり、攻撃の切り札として期待された1996年欧州選手権でも好調なチームの中では出場機会なしに終わりました。
1998年W杯予選では3試合戦いましたが、本大会メンバーから落選しています。
代表記録 30試合2得点

※:ノイシュタット・アン・デル・ワインシュトラーセ
2010年12月18日:新規アップ 2015年8月1日更新

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