ルーカス・バリオス(Lucas BARRIOS)
フルネーム ルーカス・ラモン・バリオス・カセレス
国籍 パラグアイ※1
出身地 ※2
生年月日 1984・11・13
身長 187cm
体重 83kg
利き足
ポジション FW(CF)
FK PK PK
キャプテン経験 代表
代表デビュー 2010・5・25
アイルランド戦
代表背番号 8 19
W杯メンバー 10年
ニックネーム パンサー
個人タイトル 08チリリーグ得点王
10パラグアイ年間最優秀選手
チームタイトル  08チリ後期リーグ
10/11ブンデスリーガ
12,13中国リーグ
12中国カップ
13AFCチャンピオンズ・リーグ
15ブラジルカップ
16ブラジル全国選手権
17コパ・リベルタドーレス
所属クラブおよび背番号 出場 得点
03/04 アルヘンティノス(アルゼンチン2部) 15
03/04 ティグレ(アルゼンチン3部) 16
04/05 アルヘンティノス(アルゼンチン2部)
05 テムコ(チリ) 28 12
05/06 ティロ・フェデラル(アルゼンチン) 18 12
06 コブレロア(チリ) 17
07 コブレロア(チリ) 18 14
07/08 アトラス(メキシコ) 14
08 コロコロ(チリ) 8 27 26
09 コロコロ(チリ) 8 15 12
09/10 ドルトムント(ドイツ) 18 33 19
10/11 ドルトムント(ドイツ) 18 32 16
11/12 ドルトムント(ドイツ) 18 17
12 広州恒大(中国) 18
13 広州恒大(中国) 18
13/14 スパルタク・モスクワ(ロシア) 9 15
14/15 スパルタク・モスクワ(ロシア) 9
14/15 モンペリエ(フランス) 10 31 11
15 パルメイラス(ブラジル) 8 13
16 パルメイラス(ブラジル) 8
17 グレミオ(ブラジル) 18 17
17/18 アルヘンティノス(アルゼンチン) 88 12
18 コロコロ(チリ) 33 14
18/19 ウラカン(アルゼンチン) 8 10
19/20 ウラカン(アルゼンチン) 8    
エリア内でのゴール感覚に定評があり、「パンサー」の異名をとるCF。2010年W杯メンバーでアルゼンチンからパラグアイに帰化した4番目の選手です。

ブエノスアイレス州のサンフェルナンドに生まれます。2部からキャリアをスタートさせ、限られた機会に結果を残す決定力は、テムコ時代の12ゴールとなって現れます。
キャリアの合間に他国でもプレーしますが、チリリーグとの相性が良く、コブレロアでは2年で26ゴール、レンタルで加入したコロコロでは1年目に得点王、特に16試合で18ゴールと驚異的なペースでゴールを量産してチームのリーグ優勝に貢献します。通算37ゴールは同じコロコロに在籍していたルイス・エルナン・アルバレスが1963年に記録して以来となりました。
09シーズンもエースとしての役割を果たし、ナンシー、エスパニョール、パナシナイコスなどヨーロッパから数多のオファーが届く中、ドルトムントへの移籍が決まりました。
スイス代表フライの後釜としての期待を受け、8月8日ケルンとの開幕戦でブンデスリーガデビュー。同胞バルデスの献身もあり、リーグ中盤ではチャンピオンのヴォルフスブルクから2ゴールを挙げ勝利に貢献するなど4試合連続ゴールを2度記録すると、4月24日ニュルンベルク戦ではハットトリックを達成してヨーロッパ・リーグ出場権獲得を確実にし、ランキング3位の19ゴールを挙げました。国内カップでも4ゴールを挙げるなど、初年度から好成績を残しました。
2年目は新加入の香川との連係を深めます。国内では3度の1試合2ゴールなど16ゴールで9年ぶりのリーグ優勝に貢献し、ヨーロッパリーグでも7試合4ゴールと決定力を見せました。しかし3年目はケガで戦列を離れてレヴァンドフスキに1トップを奪われました。
広州恒大ではACLを戦い、浦和戦など4ゴールを挙げて優勝しました。不本意だったロシアの後、モンペリエでは2014年8月17日マルセイユ戦でフランスリーグデビューし、メッツ戦でハットトリックを決めるなど2ケタゴールと復調し、15位のチームを7位に上げました。
その後ブラジルに渡ります。リーグでハットトリック、カップ戦で2ゴールとフルミネンセ戦で結果を残しました。グレミオでは国内カップで5ゴール、リベルタドーレスはグアラニ戦のハットトリックなど6ゴールで優勝に貢献。クラブW杯は2試合不発で準優勝となりました。
その後は南米を渡り歩いています。

主砲カバニャスの離脱もあり、2010年4月8日に母親の祖国パラグアイの国籍を取得して5月25日アイルランド戦で代表デビューします。この試合含め親善試合で結果を残し、W杯メンバーに入ります。本大会ではノーゴールでしたが、日本戦など5試合に出場しました。
2011年コパ・アメリカは6試合に出てベネズエラ戦でゴールしますが、パラグアイとの決勝で負傷してチームも敗れました。2014年W杯予選もエクアドル戦のみに終わりました。
2015年コパ・アメリカは3ゴールしますが、アルゼンチンに6失点しました。
代表記録

※1:アルゼンチン国籍もあり
※2:ブエノスアイレス(アルゼンチン)
2010年9月4日:新規アップ 2019年8月8日更新