エドガル・バレット(Edgar BARRETO) | |||||||||||||||||||||||||||||
フルネーム | エドガル・オスバルド・バレット・カセレス | ||||||||||||||||||||||||||||
国籍 | パラグアイ | ||||||||||||||||||||||||||||
出身地 | アスンシオン | ||||||||||||||||||||||||||||
生年月日 | 1984・7・15 | ||||||||||||||||||||||||||||
身長 | 182cm | ||||||||||||||||||||||||||||
体重 | 78kg | ||||||||||||||||||||||||||||
利き足 | 右 | ||||||||||||||||||||||||||||
ポジション | MF(CMF) | ||||||||||||||||||||||||||||
FK PK | FK | ||||||||||||||||||||||||||||
キャプテン経験 | クラブ | ||||||||||||||||||||||||||||
代表デビュー | 2004・7・8 コスタリカ戦 |
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代表背番号 | 8 | ||||||||||||||||||||||||||||
W杯メンバー | 06年 10年 | ||||||||||||||||||||||||||||
ニックネーム | |||||||||||||||||||||||||||||
個人タイトル | |||||||||||||||||||||||||||||
チームタイトル | 04アテネオリンピック銀メダル | ||||||||||||||||||||||||||||
11CONMEBOLコパ・アメリカ | |||||||||||||||||||||||||||||
所属クラブおよび背番号 | 出場 | 得点 | |||||||||||||||||||||||||||
01 セロ・ポルテーニョ | 0 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
02 セロ・ポルテーニョ | 6 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
03 セロ・ポルテーニョ | 20 | 4 | |||||||||||||||||||||||||||
03/04 NEC(オランダ) 19 | 9 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
04/05 NEC(オランダ) 8 | 25 | 5 | |||||||||||||||||||||||||||
05/06 NEC(オランダ) 8 | 32 | 3 | |||||||||||||||||||||||||||
06/07 NEC(オランダ) 8 | 29 | 2 | |||||||||||||||||||||||||||
07/08 レッジーナ(イタリア) 8 | 36 | 3 | |||||||||||||||||||||||||||
08/09 レッジーナ(イタリア) 8 | 32 | 2 | |||||||||||||||||||||||||||
09/10 アタランタ(イタリア) 16 | 4 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
10/11 アタランタ(イタリア2部) 8 | 29 | 2 | |||||||||||||||||||||||||||
11/12 パレルモ(イタリア) 5 | 34 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
12/13 パレルモ(イタリア) 5 | 30 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
13/14 パレルモ(イタリア2部) 5 | 34 | 4 | |||||||||||||||||||||||||||
14/15 パレルモ(イタリア) 5 | 24 | 2 | |||||||||||||||||||||||||||
15/16 サンプドリア(イタリア) 8 | 30 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
16/17 サンプドリア(イタリア) 8 | 32 | 2 | |||||||||||||||||||||||||||
17/18 サンプドリア(イタリア) 8 | 28 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
18/19 サンプドリア(イタリア) 8 | 12 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
19/20 サンプドリア(イタリア) 8 | |||||||||||||||||||||||||||||
正確な右足のキックが武器で、ミドルや縦パス、プレースキックで攻撃をリードします。テクニシャンでありながら、ハードワークをいとわないのも特筆すべき部分です。 首都アスンシオン生まれ。国内強豪セロ・ポルテーニョでプロのキャリアを始めます。3年目に20試合4得点と頭角を現し、国際舞台での活躍もあってヨーロッパへの移籍を果たします。NECでは即戦力として活躍、通算95試合10得点の成績を残しました。 07/08シーズンにレッジーナと4年契約を結び、8月26日アタランタとの開幕戦でセリエAにデビュー。年明けのアタランタ戦で初得点を決め、その後ミラン相手にも一矢報いるなど自己最多の36試合に出場して瞬く間にチームに不可欠の存在となります。2年目もボローニャとの両試合で得点を挙げますが、チームがBに降格したためアタランタに移籍します。 1年目はリヴォルノ戦で負傷、以降の試合を棒に振りチームも降格します。そしてチームに残りBを制して1年でAに復帰しました。パレルモでは、インテルやラツィオ、ウディネーゼといった上位相手に決定的な仕事を見せてチームに勝ち点をもたらします。2年目も中盤の守備のかなめとして30試合に出たものの、B降格の憂き目に遭います。それでもウルグアイ代表FWエルナンデスや北アイルランド代表FWラファティら攻撃陣と共に主軸として1年でAに戻りました。 15/16シーズンにサンプドリアへフリーで移籍します。多国籍の後進がそろうチームにおいて、リーダーとして不可欠の存在となっています。 2001年U-17世界選手権で3試合、2年後のWユースで4試合プレーして頭角を現します。2004年アテネ五輪では日本を下すなど6試合戦い銀メダルを獲りました。 フル代表デビューは2004年7月8日コスタリカ戦。コパ・アメリカにもエントリーされ、同大会に3大会連続出場、2011年大会は決勝戦など3試合戦い準優勝になりました。 W杯は2006年大会予選で7試合、本戦で2試合に出場。2010年大会は14試合、本大会でも3試合プレーして母国初のベスト8進出を果たします。日本とのPK戦を制した後は失敗して号泣する駒野を慰めました。2014年W杯予選は2試合に終わっています。 代表記録 余談 ・2010年W杯のメンバーであるGKディエゴ・バレットは実兄です。 2012年5月4日:新規アップ 2019年8月8日更新 |