エベル・バネガ(Ever BANEGA)
フルネーム エベル・マキシミリアーノ・ダビド・バネガ
国籍 アルゼンチン※  
出身地 ロサリオ
生年月日 1988・6・29
身長 174cm
体重 71kg
利き足
ポジション MF(DMF)
FK PK FK PK
キャプテン経験 代表
代表デビュー 2008・2・6
グアテマラ戦
代表背番号 7 19
W杯メンバー 18年
ニックネーム  
個人タイトル  
チームタイトル 07コパ・リベルタドーレス
07FIFAU−20ワールドカップ
07/08コパ・デル・レイ
08レコパ・スダメリカーナ
08北京オリンピック金メダル
14/15,15/16UEFAヨーロッパリーグ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
06/07 ボカ・ジュニアーズ 24 14
07/08 ボカ・ジュニアーズ 24 14
07/08 バレンシア(スペイン) 11 12
08/09 アトレティコ・マドリー(スペイン) 16 24
09/10 バレンシア(スペイン) 21 36
10/11 バレンシア(スペイン) 24 28
11/12 バレンシア(スペイン) 10 13
12/13 バレンシア(スペイン) 10 29
13/14 バレンシア(スペイン) 10 18
13/14 ニューウェルス 19 14
14/15 セビージャ(スペイン) 19 34
15/16 セビージャ(スペイン) 19 25
16/17 インテル(イタリア) 19 28
17/18 セビージャ(スペイン) 10 31
18/19 セビージャ(スペイン) 10 32
19/20 セビージャ(スペイン) 10    
ボランチあるいはトップ下として、正確なパスでチームの攻撃にリズムを生みます。ただ好不調の差が激しく、スタミナ不足なのが懸念材料です。

ロサリオ生まれ。ボカの下部組織でトレーニングに取り組みます。2007年1月にガゴがR・マドリーに引き抜かれたため後釜となり、2月10日A・バンフィエルド戦で1部デビューして14試合に出場しました。リベルタドーレスではクラブでの初タイトルを手にしました。
2年目も主力として活躍し、途中でバレンシアと5年半の契約を結びます。2008年1月13日A・マドリー戦でリーガデビューし、レクレアティボ戦でマタを援護しました。
08/09シーズンにA・マドリーにローンで移籍し、初めてのチャンピオンズ・リーグは3試合に出ます。しかしP・アスンソン、マニシェ、R・ガルシアらの存在によりベンチスタートが多くなりました。2度の退場処分もありましたが、ヌマンシア戦で初ゴールを挙げました。
09/10シーズンにバレンシアへ戻ります。守備の局面ではイエロー12枚と判定に苦しみますが、攻撃では開幕セビージャ戦で2アシスト、他にはバジャドリー戦など自己最多の36試合8アシストと本領を発揮し、クラブを3年ぶりのチャンピオンズ・リーグに導きました。
翌シーズンの同大会は4試合に出ますが、R16でシャルケに敗れました。リーグ戦は序盤こそケガでしたが、本拠ビジャレアル戦など2ゴール4アシストしました。
12/13シーズンは、バルサ戦の先制弾やエスパニョール戦の2アシストなど4ゴール4アシストとケガから復活しますが、翌シーズンの途中にニューウェルスへローン移籍します。M・ロドリゲスやトレゼゲとの攻撃で、ティグレやアルセナル相手に結果を残しました。
14/15シーズンにセビージャへ移り、バレンシアに続きエメリ監督の下でプレーします。11回も警告を受けますが、バルサ相手に先制ゴールを挙げました。ヨーロッパリーグでは11試合に出て準決勝フィオレンティーナ戦でアシストし、ドニプロとの決勝を制しました。
翌シーズンの欧州スーパー杯はバルサに敗れますが、FKを決めます。リーグ戦ではヘタフェ戦で1ゴール1アシスト、R・マドリーからゴール、古巣バレンシアからアシストしてチームを勝利に導きました。カップ戦ではバルサとの決勝でネイマールへのファールで退場してチームも敗れました。チャンピオンズ・リーグではPKを2本決めるもグループリーグで敗退、ヨーロッパリーグではA・ビルバオ戦で同点アシストするなど8試合に出て連覇を達成しました。
16/17シーズンにフリーでインテルへ移籍し、8月28日パレルモ戦でセリエAにデビュー。続くペスカーラ戦で同点アシストして逆転勝利を呼び込みます。ユヴェントス戦でも同様の活躍をしますが、終了間際に2枚目のイエローカードを受けました。その後もカリアリ戦のFKやアタランタ戦のハットトリックなど自己最多の6ゴールを挙げますが、退団しました。
17/18シーズンにセビージャへ復帰。2年目はベティス戦で決勝アシストするなど、3ゴール4アシスト、ヨーロッパリーグでも4ゴール2アシストと好成績を残しました。

2007年U−20W杯はアグエロと共にレギュラーとして全7試合に出場して優勝します。翌年の北京五輪でも決勝など3試合プレーして連覇に貢献しました。
フル代表デビューは2008年2月6日グアテマラ戦。クラブで活躍しながらマラドーナ監督の構想に入れず、2年後のW杯メンバー入りを逃しました。2014年W杯予選は8試合戦い、ボリビア戦で同点ゴールを挙げますが、またも本大会メンバーから落選しました。
コパ・アメリカは2011年に2試合出場しました。2015年は5試合に出ますが、チリとの決勝でPKを外しました。翌年も6試合に出てチリとの初戦でディ・マリアをアシストし、自らも決勝点を挙げますが、再戦となった決勝での雪辱はなりませんでした。
2018年W杯予選では12試合に出場。初めての本戦は3試合に出場、ナイジェリア戦ではメッシをアシストして勝利に貢献しました。R16フランス戦でもディ・マリアの同点弾を演出しますが、その後ムバッペの2発に沈みました。
代表記録

※:スペイン国籍もあり
2017年10月16日:新規アップ 2019年8月23日更新