播戸 竜二(Ryuji BANDO)
フルネーム 播戸 竜二(バンド リュウジ)
国籍 日本
出身地 兵庫県姫路市
生年月日 1979・8・2
身長 171cm
体重 65kg
利き足
ポジション FW(CF)
FK PK  
キャプテン経験  
代表デビュー 2006・10・4
ガーナ戦
代表背番号 11 21 74
W杯メンバー  
ニックネーム バン
個人タイトル  
チームタイトル 07ナビスコカップ
08/09天皇杯
08AFCチャンピオンズ・リーグ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
98 ガンバ大阪 29 13
99 ガンバ大阪 18 21
00 コンサドーレ札幌(J2) 11 30 15
01 コンサドーレ札幌 11 27
02 ヴィッセル神戸 13 26
03 ヴィッセル神戸 13 27
04 ヴィッセル神戸 13 28 17
05 ヴィッセル神戸 13 18
06 ガンバ大阪 11 30 16
07 ガンバ大阪 11 31
08 ガンバ大阪 11 15
09 ガンバ大阪 11 21
10 セレッソ大阪 11 18
11 セレッソ大阪 11 21 10
12 セレッソ大阪 11 17
13 セレッソ大阪 11
13 サガン鳥栖 9
14 サガン鳥栖 9
15 大宮アルディージャ(J2) 11 22
16 大宮アルディージャ 11
17 大宮アルディージャ 11    
裏へ飛び出してボールを受け、鋭く速いドリブルで相手DFを切り裂く他、絶妙な位置取りもできるストライカー。泥臭さと高いプロ意識、明朗な性格で周囲から厚い信頼を受けています。

兵庫県姫路市出身。小学校3年で地元の香寺SCジュニアに入ってサッカーを始め、当初からFWとしてプレー。その後香寺中から琴丘高に進みます。
高校時代はキャプテンを務め国体に選出されましたが、全国的には無名でした。最後の大会では兵庫県の滝川二の前に惜しくも準決勝で敗退しました。
1998年にG大阪に入団すると4月11日清水戦でJデビューを果たし、8月1日の神戸戦で初ゴールを挙げます。持ち前のスピードを活かし、初年度は13試合で2ゴールを挙げました。
00シーズンに札幌へ移籍。開幕戦で先制点を決めますが、タックルを受けて戦線を離脱します。5月に復帰して3戦目の新潟戦でゴールを決めて勝利に貢献しました。その後は必死でボールに食らいつく貪欲なプレーとスピードをフルに発揮。岡田監督からゴールへの意識を植え付けられ、エメルソンと共に強力2トップを結成、15ゴールを挙げてJ1昇格を果たしました。
J1の開幕戦で決勝ゴールを挙げ、古巣G大阪戦でもボレーを決めて恩返しします。しかし終盤は精彩を欠き、1stステージで6ゴールを挙げながらも、10月17日の広島戦を最後にゴールから遠ざかり、2ndステージでは3ゴールに終わりました。
2001年オフに神戸にレンタル移籍。カズ、イルハン、エムボマと名だたるFWとも難なく機能する適応力を見せると、3年目にはゴールランキング3位の17ゴールを挙げました。しかし05シーズンはケガでわずか2ゴールに終わり、チームもJ2降格となりました。
オフに年俸が大幅ダウンしたことに伴い神戸を退団し、2006年に7年ぶりにG大阪に復帰。引退した「ミスターガンバ」松波の背番号11を引き継ぎ、遠藤、二川ら良質のパサーからのアシストを受けて驚異的なペースでゴールを挙げましたが、リーグ連覇はなりませんでした。
07シーズンにバレー、08シーズンにルーカスの加入があっても限られた時間で結果を出し、天皇杯決勝では自らのゴールでタイトルを引き寄せました。
しかし外国人FWの加入で出番が減り、ライバルのC大阪に移籍。チームが1トップを敷き、外国人FWがスタメンだったためスーパーサブとして18試合で6ゴールを挙げました。翌シーズンは2度のハットトリックなど、06シーズン以来の2ケタゴールを達成します。12シーズンは2ゴールだけでしたが、柏や仙台と上位相手に意地を見せました。柿谷や南野の前に翌シーズンは出番を得られず、レンタル移籍した鳥栖でも豊田の前に満足な時間が得られませんでした。
15シーズンに大宮へ完全移籍します。福岡戦ではハットトリックを決めるなど、ムルジャや家長らと共にクラブを1年でJ1に戻しました。

1999年Wユースでは5試合戦い、小野や高原、稲本らと共に準優勝となります。その後フル代表招集は見送られていたものの、Jでの好調がオシム代表監督の目に留まり、2006年10月4日ガーナ戦にてデビュー。1週間後のアジア杯予選アウェーのインド戦に先発して2ゴールを挙げて期待に応えました。その後の岡田監督からも召集を受けています。
代表記録

2006年5月6日:新規アップ 2017年3月2日更新