ブルーノ・アウヴェス(BRUNO ALVES)
フルネーム ブルーノ・エドゥアルド・レギューヘ・アウヴェス
国籍 ポルトガル※  
出身地 ポルト
生年月日 1981・11・27
身長 187cm
体重 83kg
利き足
ポジション DF(CB)
FK PK FK
キャプテン経験 クラブ
代表デビュー 2007・6・5
クウェート戦
代表背番号 2 3
W杯メンバー 10年 14年
18年
ニックネーム  
個人タイトル 08/09ポルトガルリーグ年間最優秀選手
チームタイトル 05/06〜08/09ポルトガルリーグ
05/06,08/09,09/10ポルトガルカップ
10,11/12ロシアリーグ
13/14トルコリーグ
14UEFA欧州選手権
所属クラブおよび背番号 出場 得点
01/02 ポルトB(3部)  14
01/02 ファレンセ(5部) 31 15
02/03 ファレンセ(5部) 30 31
03/04 ヴィトーリア・ギマラエス(2部) 30 25
04/05 AEKアテネ(ギリシャ) 4 27
05/06 ポルト 13
06/07 ポルト 14 28
07/08 ポルト 14 27
08/09 ポルト 14 30
09/10 ポルト 14 27
10 ゼニト(ロシア) 3 14
11/12 ゼニト(ロシア) 3 36
12/13 ゼニト(ロシア) 3 21
13/14 フェネルバフチェ(トルコ) 22 25
14/15 フェネルバフチェ(トルコ) 22 24
15/16 フェネルバフチェ(トルコ) 22 26
16/17 カリアリ(イタリア) 2 36
17/18 レンジャーズ(スコットランド) 22 20
18/19 パルマ(イタリア) 33
19/20 パルマ(イタリア)    
狡猾な守備でカードをもらうことが多いものの、長身の選手にありがちな鈍重さが無く、最後尾からのフィードやFKと、正確なキックも持ち味のCBです。
実兄ジェラルドもプロ選手で、共にAEKでのプレー経験があります。

ポルト北部のポ゚ヴォア・デ・ヴァルジンにて、ブラジルの下部でプレーした元選手ワシントン・アウヴェスの下に生まれます。少年時代はフットバレーで技術を磨きました。
故郷のポルトに入り、3部相当のBチームでプレー。01/02シーズン途中から下部リーグのクラブへレンタルされ、レギュラーとしてコンスタントに活躍しました。
04/05シーズンにAEKでトップリーグにデビューし、同胞F・サントス監督によりDFの柱となります。リーグで27試合、チャンピオンズ・リーグも5試合に出場しました。
05/06シーズンにポルトへ復帰。しかしR・コスタなどの壁は厚く、出場した試合のうち本拠ベンフィカ戦でN・ゴメスに頭突きを見舞い退場するなど、国内2冠を達成したチームで苦しみました。07/08シーズンのチャンピオンズ・リーグではシャルケ戦でPKを失敗しました。
08/09シーズンはスポルティング戦で決勝点を挙げ、18失点でMVPになります。チャンピオンズ・リーグでもアーセナル戦で得点を挙げて8強になりました。翌シーズンも最少失点で連覇を達成。チャンピオンズ・リーグでもA・マドリー戦の得点など16強になりました。
ルチョがマルセイユへ移籍した後は主将になりますが、W杯終了後の2010年8月にゼニトと4年契約を結びます。8月14日D・モスクワ戦でロシアリーグデビュー、ベルギー代表ロンバーツやスロヴァキア代表ヒュボチャンと中央の守備を担い、リーグを連覇しました。
欧州では1年目にヨーロッパリーグで7試合に出場し、古巣AEK戦で得点を挙げました。2年目はチャンピオンズ・リーグはグループリーグ初戦で退場しますが、ポルトやベンフィカと対戦しました。3年目は5試合に出ますが、ミランなどの前にグループリーグで終わりました。
その後フェネルバフチェに移り、2013年8月24日エスキシェヒルスポル戦でトルコリーグデビュー。メフメト・Tや同胞メイレレスと共にバイタルエリアをケアし、攻撃でも2得点を挙げて優勝しました。2年目はガラタサライ戦で退場して敗れ、最終節イスタンブールBB戦でも自身含む4人の退場者が出ました。ヨーロッパリーグは9試合に出て16強になりました。
16/17シーズンにカリアリへ移籍し、8月21日ジェノアとの開幕戦でセリエAにデビューします。ミラン戦で退場しますが、FWボッリエッロと共に中心になりました。17/18シーズンにレンジャーズへ移り、8月16日マザーウェル戦で1部デビューしますが、1年で退団しました。
その後パルマへ移籍し、8月19日ウディネーゼ戦でセリエAにデビュー。ミラン戦の同点FKなど4得点を挙げ、4年ぶりにAに復帰したクラブを14位に導きました。

2001年のトゥーロンに4試合出て優勝。U−21欧州選手権は2002年と2004年に出場し、後者で3位になりました。その後アテネ五輪にも2試合出場しました。
2007年6月5日、クウェートとの親善試合でフル代表デビューします。レギュラーだったアンドラーデの離脱によるチャンスを活かし、2008年欧州選手権予選で7試合出場、アウェーのアゼルバイジャン戦で得点を挙げました。本大会はスイス戦のみプレーしました。
2010年W杯予選ではレギュラーとして9試合に出場。アルバニア戦やボスニア・Hとのプレーオフ1stレグで得点を挙げて勝利。本大会でも4試合フル出場しました。
2012年欧州選手権予選は8試合、本大会は5試合に出場。2014年W杯予選は10試合4得点、本戦も3試合と主軸であり続けましたが、チームが優勝する2016年欧州選手権は予選4試合、本戦1試合とR・カルヴァーリョやフォンテとの定位置争いに後れました。
欧州王者として臨んだ2017年コンフェデ杯は3試合に出て4強になりました。2018年W杯予選は3試合戦いラトビア戦で点を取り、本戦はペペらの控えとなりました。
代表記録

余談
・2016年6月2日イングランド戦でFWケインを蹴って一発レッドになりました。
※:ブラジル国籍もあり
2018年1月5日:新規アップ 2019年9月6日更新