バウタザール(BALTAZAR)
フルネーム バウタザール・マリア・デ・モライス・ジュニオール
国籍 ブラジル  
出身地 ゴイタニア
生年月日 1959・7・17
身長 180cm
体重 75kg
利き足
ポジション FW(CF)
FK PK  
キャプテン経験  
代表デビュー 1980・4・2
ブラジル戦
代表背番号 19
W杯メンバー  
ニックネーム 神様の点取り屋
個人タイトル 80ブラジルベストイレブン(プラカール誌)
88/89リーガ・エスパニョーラ得点王
チームタイトル 81,83ブラジル全国選手権
89CONMEBOLコパ・アメリカ
90/91ポルトガルカップ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
77/78 アトレティコ・ゴイアニエンセ(2部)
78/79 アトレティコ・ゴイアニエンセ(2部)
79 グレミオ 16 10
80 グレミオ 18 14
81 グレミオ 21 10
82 グレミオ 23 12
82 パルメイラス(2部)    
83 フラメンゴ 26 13
83 パルメイラス    
84 パルメイラス 11
84 ボタフォゴ    
85 ボタフォゴ 18
85/86 セルタ(スペイン) 32
86/87 セルタ(スペイン2部) 44 34
87/88 セルタ(スペイン) 16
88/89 アトレティコ・マドリー(スペイン) 36 35
89/90 アトレティコ・マドリー(スペイン) 38 18
90/91 アトレティコ・マドリー(スペイン)
90/91 ポルト(ポルトガル) 19
91/92 スタッド・レンヌ(フランス) 34
93 ゴイアス    
94 ゴイアス(2部)    
95 京都サンガ(日本JFL) 27 28
96 京都サンガ(日本)
敬虔なクリスチャンゆえ「神様の点取り屋」の異名を持ち、2部や州選手権を含めて6度も得点王を獲ったブラジル代表ストライカーです。

バウタザール・マリア・デ・モライス・ジュニオールは、77/78シーズンに地元からプロのキャリアをスタートさせます。そしてゴイアス州選手権で得点王になり、グレミオに引き抜かれます。守護神E・レオンやDFデ・レオンといった守備陣と共に81シーズン優勝の立役者となるなど、4年連続の2ケタゴールで役割を果たしました。フラメンゴでは17ゴールを挙げるジーコとのコンビで彼に次ぐ13ゴールを挙げ、自身2度目のリーグ優勝を果たしました。
その後は低迷し、セルタでもわずか6ゴールに終わって降格しますが、2部で34ゴールを挙げてチームを3位に導き1年での1部復帰を果たしました。1部に復帰した3年目はケガがありながら決定力を見せ、順位も7位とまずまずの結果でA・マドリーに引き抜かれます。
マノーロやポルトガル代表フットレと前線を組んで35ゴールと大爆発、クラブにとって68/69シーズンのガラテ以来20シーズンぶりの得点王に輝き、ヨーロッパ・ゴールデンブーツでも3位になりました。2年目もリーグ3位の18ゴールを挙げ、他の二人も2ケタゴールを挙げますが、R・マドリー、バルセロナ、バレンシアの前に2年連続で4位となりました。
90/91シーズンにポルトへ移籍しますが、D・パシエンシアやブルガリア代表コスタディノフと層が厚く結果を残せませんでした。フランスでも6ゴールと大ブレーキで降格の要因となり1年で退団、地元ゴイアスでも低迷して引退を示唆しました。
95シーズンにJFL京都のオファーに応え、28ゴールでJに上がります。1996年4月3日横浜F戦でデビューするもノーゴールで退団、37歳で現役を引退しました。

1977年のWユースでは、3位になったチームで出場機会がありませんでした。1980年4月2日にユース代表との試合でフル代表デビューし、ゴールを決めました。
その後スペインでの活躍により代表に復帰、ロマーリオやべべトと共に1989年コパ・アメリカにエントリーされベネズエラ戦でゴールを挙げ、地元の大会を優勝で飾りました。
代表記録 6試合2得点

2018年10月20日:新規アップ