イブラヒマ・バカヨコ(Ibrahima BAKAYOKO)
フルネーム イブラヒマ・バカヨコ・セーラ
国籍 コートジボワール※  
出身地 セグエラ
生年月日 1976・12・31
身長 182cm
体重 75kg
利き足
ポジション FW(CF)
FK PK PK
キャプテン経験  
代表デビュー 1996・1・14
ガーナ戦
代表背番号 10 20
W杯メンバー  
ニックネーム  
個人タイトル  
チームタイトル  
所属クラブおよび背番号 出場 得点
94 スタッド・アビジャン 30
95 スタッド・アビジャン 34 10
95/96 モンペリエ(フランス) 14
96/97 モンペリエ(フランス) 28 27 13
97/98 モンペリエ(フランス) 28 28
98/99 モンペリエ(フランス) 28
98/99 エヴァートン(イングランド) 23
99/00 マルセイユ(フランス) 22 23
00/01 マルセイユ(フランス) 28 26
01/02 マルセイユ(フランス) 10 26
02/03 マルセイユ(フランス) 10 37
03/04 マルセイユ(フランス) 19
03/04 オサスナ(スペイン) 24 26
04/05 イストレス(フランス) 19 15
05/06 リヴォルノ(イタリア) 26 21
06/07 リヴォルノ(イタリア) 9 16
06/07 メッシーナ(イタリア) 28
07/08 ラリッサ(ギリシャ) 29 23
08/09 PAOK(ギリシャ) 10 24
09/10 PASジャンニナ(ギリシャ) 20 24
10/11 PASジャンニナ(ギリシャ2部) 20 30 19
11/12 PASジャンニナ(ギリシャ) 10 24
12/13 オリンピアコス・ヴォロー(ギリシャ2部) 18 12
13/14 スタッド・ボルドー(フランス4部) 
抜群のスピードとボディバランスで、ドログバをはじめとする黄金世代より一足先にヨーロッパでコートジボワールの名前をかけて戦ったアタッカーです。

母国S・アビジャンで結果を残した後渡仏し、モンペリエに入団。2年目はソゼーとのホットラインを確立させて13得点を挙げます。その後も左のロベールと攻撃を担いました。
98/99シーズンが開幕した後にエヴァートンへ移籍し、10月17日のマージーサイドダービーでプレミアデビューします。しかし23試合で4得点、全コンペティションを合わせても7得点と振るわず(リーグ杯1、FA杯2)、クラブの財政難もあり1年で退団しました。
その後マルセイユに入ります。モーリスやラヴァネッリとの競争で8得点を挙げ、チャンピオンズ・リーグでもマンチェスター・U戦など3試合連続でネットを揺らして2次リーグに進出しました。その後もウェアやアルフォンソ、フェルナンドンの能力を引き出しました。
03/04シーズンにオサスナへ移籍し、9月14日A・マドリー戦でリーガにデビューします。ムルシア戦で2得点、R・マドリー戦で先制点、セルタ戦でダメ押し点を挙げます。しかし最終節セビージャ戦は両チーム合わせて4人も退場者が生まれるなど試合が荒れ、自らも終了間際にレッドカードを受けて後味が悪い形でスペインでのキャリアを終えました。
不発に終わったフランスのイストレスを経てリヴォルノへ移籍し、2005年9月21日メッシーナ戦でセリエAにデビューします。パルマとのアウェー戦でPKを決めて初得点を挙げますが、基本的にはエースのC・ルカレッリを機能させる役割に徹しました。
07/08シーズンに移ったラリッサでは、UEFA杯でもプレミア時代に2得点を奪ったブラックバーン相手に得点を奪い、古巣エヴァートンとも対戦しました。
PASでは1年目に4得点と不本意な成績に終わり降格します。しかしそのまま残って6度の1試合2得点など2部で得点王になり、クラブを1年で1部に復帰させました。
13/14シーズンにフランス4部でキャリアを終えています。

1996年1月14日、アフリカ選手権ガーナ戦で代表デビューします。1998年大会は2試合で2得点を挙げますが、2000年と2002年は3試合で不発に終わりました。
2002年W杯予選は、マダガスカル戦のハットトリックなど8試合で11点を挙げました。
代表記録 39試合22得点

※:フランス国籍もあり
2018年1月18日:新規アップ