ファウスティーノ・アスプリージャ(Faustino ASPRILLA)
フルネーム ファウスティーノ・エルナン・アスプリージャ・ヒネストロサ
国籍 コロンビア
出身地 トゥルア
生年月日 ※1
身長 178cm
体重 74kg
利き足
ポジション FW(CF)
FK PK FK
キャプテン経験  
代表デビュー 1993・6・6
チリ戦
代表背番号 11 21
W杯メンバー 94年 98年
ニックネーム ※2
個人タイトル  
チームタイトル 91コロンビアリーグ
92/93UEFAカップウィナーズ・カップ
94/95,98/99UEFAカップ
98/99コッパ・イタリア
所属クラブおよび背番号 出場 得点
88 ククタ・デポルティボ 36 17
89 アトレティコ・ナシオナル 15
90 アトレティコ・ナシオナル 20
91 アトレティコ・ナシオナル 36 15
92 アトレティコ・ナシオナル
92/93 パルマ(イタリア) 26
93/94 パルマ(イタリア) 11 27 10
94/95 パルマ(イタリア) 11 25
95/96 パルマ(イタリア) 18
95/96 ニューカッスル(イングランド) 14
96/97 ニューカッスル(イングランド) 24
97/98 ニューカッスル(イングランド) 11 10
97/98 パルマ(イタリア) 31 14
98/99 パルマ(イタリア) 10
99 パルメイラス(ブラジル)
00 パルメイラス(ブラジル)
00 フルミネンセ(ブラジル)
01 フルミネンセ(ブラジル) 10
01/02 アトランテ(メキシコ) 12
02 アトレティコ・ナシオナル 11
03 ウニベルシダ・デ・チリ(チリ) 13
03/04 エストゥディアンテ(アルゼンチン)
04 コーポラシオン
トラブルメーカーで気まぐれな言動には賛否が分かれますが、そのポテンシャルは疑いの余地がないコロンビア代表FW。スピードがありストライドの長いドリブルや、柔らかいボールタッチから放たれる強烈なシュートは相手の脅威となります。

88シーズンに地元のククタ・デポルティボでプロのキャリアをスタートさせ、翌シーズンよりA・ナシオナルでプレー。91シーズンは15ゴールを挙げてリーグ優勝の原動力となりました。
そしてイタリアのパルマからオファーを受けて欧州へ旅立ちます。ミランも獲得を検討していましたが、条件が合わずに入団はなりませんでした。
ファンタジスタのゾラと2トップを組み、クラブに黄金時代をもたらします。2度のカップウィナーズ杯決勝進出を果たし、92/93シーズンに優勝。翌シーズンはアーセナルに敗れました。
国内リーグでは、1993年3月のミラン戦でFKによるゴールを挙げてミランの58試合連続無敗記録をストップさせました。94/95シーズンにはUEFA杯を獲得しています。
その後ニューカッスルでプレー。3年目のチャンピオンズ・リーグではバルセロナ相手にハットトリックを決めますが、D・キエフとPSVの後塵を拝し、グループステージで敗退しました。
パルマへの復帰を経てパルメイラスと契約を交わし、インターコンティネンタル杯にも出場します。2000年9月には、地元トゥルアで泥酔したあげく拳銃を乱射して逮捕されました。
その後はさまざまな国のクラブでプレーし、2004年に現役を引退。その後はサッカースクールを立ち上げて後進の指導にあたっています。

1992年バルセロナ五輪では3試合でノーゴールに終わります。翌年6月6日チリ戦でフル代表デビュー。1994年W杯予選では4試合戦い、アルゼンチン戦ではアウェーで5−0と圧勝します。本大会にもFW最多の3試合に出場しましたが、ノーゴールに終わりました。
1998年W杯予選では12試合とエースとなりますが、パラグアイの守護神チラベルに暴行を加えて退場処分になったり負傷したりと安定感のなさが露呈します。最終的には2度目の出場権を得ましたが、1試合のプレーに終わりました。
2002年大会予選は5試合でノーゴールに終わっています。
代表記録 57試合20得点

※1:1969・11・10
※2:ティノ、コロンビアの黒豹
2007年3月31日:新規アップ 2012年8月17日更新