アルバロ・アルベロア(Alvaro ARBELOA)
フルネーム アルバロ・アルベロア・コカ
国籍 スペイン
出身地 サラマンカ
生年月日 1983・1・17
身長 183cm
体重 76kg
利き足
ポジション DF(RSB)
FK PK  
キャプテン経験  
代表デビュー 2008・3・26
イタリア戦
代表背番号 17 18 19
W杯メンバー 10年
ニックネーム  
個人タイトル  
チームタイトル 08,12UEFA欧州選手権
10FIFAワールドカップ
10/11,13/14コパ・デル・レイ
11/12リーガ・エスパニョーラ
13/14,15/16UEFAチャンピオンズ・リーグ
14FIFAクラブワールドカップ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
03/04 レアル・マドリー・カスティージャ(3部) 22
04/05 レアル・マドリー・カスティージャ(3部) 28
04/05 レアル・マドリー 27
05/06 レアル・マドリー・カスティージャ(2部) 34
06/07 デポルティボ 17 20
06/07 リヴァプール(イングランド) 2
07/08 リヴァプール(イングランド) 17 28
08/09 リヴァプール(イングランド) 17 29
09/10 レアル・マドリー 2 30
10/11 レアル・マドリー 17 26
11/12 レアル・マドリー 17 26
12/13 レアル・マドリー 17 26
13/14 レアル・マドリー 17 18
14/15 レアル・マドリー 17 22
15/16 レアル・マドリー 17
16/17 ウェストハム(イングランド) 5
冷静な判断力での落ち着いた守備とスピードに加え、両足を使える技術、最終ラインの全ポジションをこなす柔軟性や豊富なスタミナも備えており、監督から重宝されます。

12歳で地元サラゴサの下部組織に入り、01/02シーズンまで在籍します。16歳の時にR・マドリーの下部組織に移り、ベニテス監督の指導を受けました。そして2004年10月16日ベティス戦でリーガデビューを果たすも2試合の出場にとどまり、再び下部チームへ移りました。
06/07シーズンに出場機会を求めてデポルティボへ移籍、ここで定位置をつかんだかに思われましたが、リヴァプールの指揮官である恩師ベニテスのオファーを受け、シーズン途中でイングランドへ渡ることを決意しました。2007年2月10日ニューカッスル戦でプレミアリーグにデビューすると定位置を確保、4月7日レディング戦では初ゴールをマークしました。チャンピオンズ・リーグでもアウェーのバルセロナ戦に左SBとしてデビューすると、メッシを封じ込め勝利に貢献。この試合含めて5試合に出場しましたが、惜しくも決勝でミランに敗れました。
07/08シーズンはF・アウレリオの離脱もあり引き続き左サイドで28試合に出場。翌シーズンも29試合でリーグ2位になるなどレッズの最終ラインに定着します。チャンピオンズ・リーグでも10試合に出場して決勝トーナメント進出を果たしました。
しかし09/10シーズンに古巣R・マドリーに復帰。長年右SBのレギュラーを務めたM・サルガドの背番号2を引き継ぎますが、R・カルロス退団以来適任者を欠く左SBを任され、マドリードダービーでゴールを挙げるなど首脳陣の期待に応えました。13/14シーズンはカルバハルのレンタルバックにケガも重なり出場機会が減りましたが、過密日程のチームを支えました。
16/17シーズンにフリーでウェストハムへ移籍するも3試合に終わり、引退しました。

U−15以来全カテゴリーのユース代表に招集されます。アラゴネス政権での2008年2月6日フランス戦で招集されますがケガで出場はなりませんでした。その後3月26日の親善試合イタリア戦でフル代表デビューし、同年の欧州選手権では1試合戦って優勝を経験しました。
2009年コンフェデ杯では3試合戦い3位。2010年W杯予選、本選共に1試合と出場機会は少なかったものの、母国初優勝のメンバーに名を連ねました。
2012年欧州選手権予選は6試合に出場。本戦ではプジョールの離脱もあり右SBの座を不動のものとし、6試合戦って母国の連覇に役割を果たしました。
2013年コンフェデ杯もレギュラーとして4試合に出場しますが、決勝ブラジル戦では前半でベンチに下がり、チームも惨敗しました。2014年W杯予選も6試合と多くの出場機会を得たものの、直前の3月に右ヒザを負傷して本大会メンバーから外れました。
代表記録 55試合

余談
・愛犬の名前は「ロニー」であり、元同僚のFWロナウドの愛称にちなんでいます。
2010年12月10日:新規アップ 2017年6月24日更新