チャルレス・アランギス(Charles ARANGUIZ)
フルネーム チャルレス・マリアーノ・アランギス・サンドバル
国籍 チリ  
出身地 プエンテ・アルト
生年月日 1989・4・17
身長 171cm
体重 71kg
利き足
ポジション MF(CMF)
FK PK FK PK
キャプテン経験  
代表デビュー 2009・11・4
パラグアイ戦
代表背番号 20
W杯メンバー 14年
ニックネーム  
個人タイトル 14南米ベストイレブン(プラカール紙)
16CONMEBOLコパ・アメリカベストイレブン
チームタイトル 09,11チリ後期リーグ
11,12チリ前期リーグ
11コパ・スダメリカーナ
12/13チリカップ
15,16CONMEBOLコパ・アメリカ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
06 コブレロア 27
07 コブレロア 19
07 コブレサル 16 14
08 コブレロア 16 32
09 コブレロア 16 12
09 コロコロ 16 17
10 コロコロ 16
10/11 キルメス(アルゼンチン) 16 14
11 ウニベルシダ・デ・チリ 20 27
12 ウニベルシダ・デ・チリ 20 23
13 ウニベルシダ・デ・チリ 20 12
13/14 ウニベルシダ・デ・チリ 20 12
14 インテルナシオナウ(ブラジル) 20 24
15 インテルナシオナウ(ブラジル) 20    
15/16 レヴァークーゼン(ドイツ) 20
16/17 レヴァークーゼン(ドイツ) 20 26
17/18 レヴァークーゼン(ドイツ) 20 27
18/19 レヴァークーゼン(ドイツ) 20 24
19/20 レヴァークーゼン(ドイツ) 20    
運動量、テクニック、戦術眼を兼ね備え、ゲームの情勢に即した適切な状況判断で攻守のバランスをとるチリ代表のセントラルMFです。

指導者を務める母マリアーナの影響を受け、13歳でウニベルシダの下部組織に入団。06シーズンにトップデビューし、アウェーのオヒギンス戦で初得点を挙げました。
レンタルから復帰した08シーズンは好成績を残し、翌シーズンもコブレサル、パレスティノと2試合連続2得点を挙げますが、その後2度の退場処分を受けました。
09シーズンの途中にフリーでコロコロへ移籍。強豪だけに出場機会は限られますが、U・コンセプシオン戦やU・カトリカ戦で得点を挙げて勝利に貢献。リベルタドーレスでも6試合に出場しました。その後はラ・セレナ戦で2得点を挙げて6−1と圧勝する原動力になりました。
その後キルメスへレンタル移籍し、8月7日コロン戦でアルゼンチンリーグにデビューします。しかしアルヘンティノス戦で退場するなど苦しみ、18位で降格しました。
その後ウニベルシダに復帰し、サンパオリ監督によりレギュラーに定着します。コブレサル戦では自らのオウンゴールで同点、さらに勝ち越されますが、味方の猛攻で5−2で勝利して事なきを得ました。続くS・ワンダラーズ戦では勝ち越し点、アウェーのU・カトリカから2戦連続アシスト、オヒギンス戦で1得点1アシストして7−1と圧勝しました。コロコロ戦は早々にPKを決めた後、前半でレッドを受けますが、相手のオウンゴールにより同点に持ち込みました。また、コパ・スダメリカーナでは12試合に出場して初の国際タイトルを獲得しました。
2年目はA・イタリアーノ戦で3アシストして6−0の圧勝を演出し、続くU・エスパニョーラ戦で同点弾を挙げて逆転勝利し、コブレロア戦でも決勝弾と勝負強さを見せました。翌年はニュブレンセとのカップ戦でPKを決めて優勝し、国内の主要タイトルを手中にしました。
リベルタドーレスは2012年に12試合に出場して4強、翌年は5試合に出てニューウェルス戦で決勝のPK、D・ララ戦で2アシストしますが、グループリーグで敗退しました。
13シーズンは3度の1得点1アシスト、13/14シーズンは3試合連続でPKを決めるなど傑出した働きを披露しました。コパ・スダメリカーナは5試合戦いR16ラヌース戦2ndレグなど4得点を挙げますが、1stレグでの4−0という大敗により合計スコアで敗退しました。
14シーズンにインテルナシオナウへレンタル移籍。州選手権はクルゼイロ戦で2得点1アシスト、カップ戦でPKを決めました。4月19日ヴィトーリア戦の全国選手権デビュー戦とS・レシフェ戦、終盤のサントス戦で2得点を挙げるなど、ダレッサンドロと共に軸となりました。
15/16シーズンにレヴァークーゼンへ移籍。ケガでブンデスデビューは4月1日ヴォルフスブルク戦となりましたが、ボルシアMG、インゴルシュタットと終盤に連発しました。
2年目はマインツ戦でチチャリートのハットトリックを演出し、ダルムシュタット戦で決勝点を挙げました。しかしインゴルシュタット戦でレッドを受け、チームも12位に低迷しました。3年目はホームのフライブルク戦で1得点2アシストと圧巻のプレーで4−0と大勝しました。

2009年のU−20南米選手権は出番がありませんでしたが、11月4日パラグアイ戦でフル代表デビューします。2014年W杯予選は7試合に出場、ボリビアとベネズエラに連発して出場権を獲得。本大会も王者スペイン戦でバルガスをアシストし、自らも続きました。ホスト国ブラジル戦はPK戦にもつれ3人目として成功しますが、前の2人のミスが響き敗退しました。
2015年コパ・アメリカは6試合戦います。メキシコ戦はビダルを先制アシストし、ボリビア戦で2得点を挙げました。翌年はコロンビア戦で先制点を挙げて連覇に貢献しました。この結果を受けて2017年コンフェデ杯は5試合に出ますが、決勝でドイツに敗れました。
2018年W杯予選は9試合で2アシストするも出場権を逃しました。2019年コパ・アメリカは6試合に出場、日本戦とエクアドル戦で計3アシストしますが、4強にとどまりました。
代表記録

2018年2月21日:新規アップ 2019年8月1日更新