フルネーム ニコラオス・アナストプーロス
国籍 ギリシャ  
出身地 アテネ
生年月日 1958・1・22
身長 176cm
体重 74kg
利き足
ポジション FW(CF)
FK PK PK
キャプテン経験 代表
代表デビュー 1977・9・21
ルーマニア戦
代表背番号 20
W杯メンバー  
ニックネーム  
個人タイトル 82/83,83/84,85/86,86/87ギリシャリーグ得点王
チームタイトル 78/79,80/81,89/90,91/92ギリシャカップ
80/81,81/82,82/83,86/87ギリシャリーグ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
76/77 パニオニオス 32 11
77/78 パニオニオス 27
78/79 パニオニオス 28
79/80 パニオニオス 30
80/81 オリンピアコス 20
81/82 オリンピアコス 32 13
82/83 オリンピアコス 31 29
83/84 オリンピアコス 30 18
84/85 オリンピアコス 28 16
85/86 オリンピアコス 24 19
86/87 オリンピアコス 21 16
87/88 アヴェッリーノ(イタリア) 16
88/89 パニオニオス 11
89/90 オリンピアコス 22
90/91 オリンピアコス 26 17
91/92 オリンピアコス 24
92/93 イオニコス 19
93/94 オリンピアコス
高いジャンプでのヘディングやルーズボールへの反応、エリア内でのポジショニングなど、低身長を感じさせない攻撃センスを持つギリシャ代表のストライカーです。

ダフニでユース時代を過ごし、パニオニオスでプロ生活を始めます。1年目は32試合で11ゴールでリーグ9位になりました。3年目は国内カップを制し、翌シーズンのカップウィナーズ杯1回戦ではトゥベンテから2ゴールを挙げました。国内リーグは3年間2ケタ順位に甘んじました。
それでも欧州選手権での活躍が注目されてオリンピアコスに引き抜かれます。3連覇含む4度のリーグ優勝、4度の得点王に輝き(82/83シーズンの29ゴールはヨーロッパゴールデンシュー3位)、MFミトロプーロスらと共に黄金期を築きました。
87/88シーズンにアヴェッリーノへ自身初の海外移籍を果たすものの、チーム戦術に適応できず、オーストリア代表シャックナーとのポジション争いに敗れました。
その後再び古巣の2クラブを渡り歩き、オリンピアコスではプロタソフやサヴィチェフといったソ連代表勢やMFツァルヒディスと共にゴールを量産しました。
オリンピアコスでは、リーグ戦262試合で145ゴールを挙げて93/94シーズンに引退しました。その後は監督として国内クラブを歴任しています。

1977年9月21日ルーマニア戦で代表デビューします。1980年欧州選手権ではチェコ・スロヴァキア戦で一時同点に追いつくゴールを挙げますが、勝ち越されました。
1986年W杯予選では6試合に出場します。ポーランド戦でチームを一時同点にしましたが、その後勝ち越されました。1988年欧州選手権予選では7試合に出場、4試合連続など計5ゴールを挙げますが、本戦出場はなりませんでした。
1990年W杯予選も2試合に出場しています。
代表記録 74試合29得点

※:ニコス・アナストプーロス(Nikos ANASTOPOULOS)
2018年4月3日:新規アップ