フルネーム フェルナンド・ガブリエル・アモレビエタ・マルダラス
国籍 ベネズエラ  
出身地 カンタウラ
生年月日 1985・3・29
身長 192cm
体重 85kg
利き足
ポジション DF(CB)
FK PK  
キャプテン経験  
代表デビュー 2011・9・2
アルゼンチン戦
代表背番号  
W杯メンバー  
ニックネーム  
個人タイトル  
チームタイトル 04UEFAU−19欧州選手権
所属クラブおよび背番号 出場 得点
03/04 バスコニア・バサウリ(スペイン4部) 26
04/05 ビルバオ・アスレティック(スペイン3部) 24
05/06 ビルバオ・アスレティック(スペイン3部) 11
05/06 アスレティック・ビルバオ(スペイン) 30 15
06/07 アスレティック・ビルバオ(スペイン) 5 27
07/08 アスレティック・ビルバオ(スペイン) 5 34
08/09 アスレティック・ビルバオ(スペイン) 5 29
09/10 アスレティック・ビルバオ(スペイン) 5 34
10/11 アスレティック・ビルバオ(スペイン) 5 17
11/12 アスレティック・ビルバオ(スペイン) 5 28
12/13 アスレティック・ビルバオ(スペイン) 5 11
13/14 フルハム(イングランド) 35 23
14/15 フルハム(イングランド2部) 5
14/15 ミドルスブラ(イングランド2部) 29
15/16 ミドルスブラ(イングランド2部) 5 13
15/16 フルハム(イングランド2部) 35 14
16/17 スポルティング・ヒホン(スペイン) 5 27
17/18 スポルティング・ヒホン(スペイン2部) 5    
強引なプレーでカードコレクターになる傾向がありますが、長身でありながらテクニックも兼備し、左足での正確なフィードから攻撃の起点になります。

2歳から両親の故郷バスクで成長し、9年後にビルバオの下部組織に入ります。4部バスコニアで26試合に出た後ビルバオに戻り、ジョレンテと共に将来を嘱望されて05/06シーズンの途中に20歳でトップに昇格、1月7日デポルティボ戦でリーガデビューします。
以降徐々に出番が増加、07/08シーズンは34試合に先発しますが2枚のレッドを受けます。翌シーズンはオウンゴールも記録し、7試合出た国内カップ決勝でバルサに敗れました。
09/10シーズンも34試合に出場してリーグ8位になりますがレッドを2枚受けました。一方ヨーロッパリーグでは7試合戦ってベスト32に進出しました。
リヴァプールから興味を示されてモチベーションが高まり、イラオラやムニアイン、J・マルティネスとの連係が熟した11/12シーズンは2枚のレッドを受けるなど10位に終わりましたが、マラガ戦の同点ゴールなどキャリア最多の3ゴールをマークしました。一方8試合に出たカップ戦で再び決勝に臨みますが、バルサへのリベンジはなりませんでした。ヨーロッパリーグではL・モスクワ戦でレッドをもらいますが14試合に出場、決勝トーナメント2回戦となるマンチェスター・U戦でアシストするなど、ビエルサ新監督の下で近年にない成功を収めました。
13/14シーズンにフルハムと4年契約を結び、9月14日WBA戦でプレミアにデビュー。ノルウェー代表ハンゲランとコンビを組みますが、彼が離脱すると5連敗します。チーム自体が2度の監督交代と混乱し、2人目のミューレンスティーン監督の下で戦ったハル戦で6失点し、マガト監督の下で戦ったマンチェスター・C戦で後半早々に退場、その後4失点して惨敗し、結局リーグ最多85失点でクラブ16年ぶりの2部降格となりました。その後のミドルスブラでは2部で上位にいたものの、復帰したフルハムでは20位と低迷して退団しました。
17/18シーズンにスペインに戻ります。レッドこそなかったもののイエローを17枚も受けるなど精彩を欠き、18位で2部に降格しています。

2004年のU−19欧州選手権では、スペイン代表としてS・ラモスやソルダードなどと共に優勝し、デル・ボスケ監督からフル代表に召集されましたが、デビューはなりませんでした。
その後祖国ベネズエラを選び、2011年9月2日アルゼンチン戦でデビュー。2014年W杯予選でも7試合戦い、同じアルゼンチンからに初ゴールを挙げてチームを勝利に導きました。
2015年コパ・アメリカは2試合プレーしますが、ペルー戦で退場しました。
代表記録

※:フェルナンド・アモレビエタ(Fernando AMOREBIETA)
2014年9月9日:新規アップ 2017年6月14日更新