ギジェルモ・アモール(Guillermo AMOR)
フルネーム ギジェルモ・アモール・マルティネス
国籍 スペイン  
出身地 ベニドルム
生年月日 1967・12・4
身長 174cm
体重 69kg
利き足
ポジション MF(DMF)
FK PK  
キャプテン経験 クラブ
代表デビュー 1994・11・14
チェコ・スロヴァキア戦
代表背番号 18
W杯メンバー 98年
ニックネーム  
個人タイトル  
チームタイトル 88/89,96/97UEFAカップウィナーズ・カップ
88/89,96/97,97/98コパ・デル・レイ
90/91,91/92,92/93,93/94,97/98
リーガ・エスパニョーラ
91/92UEFAチャンピオンズ・カップ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
86/87 バルセロナ
87/88 バルセロナ
88/89 バルセロナ 27
89/90 バルセロナ 33
90/91 バルセロナ 34
91/92 バルセロナ 36
92/93 バルセロナ 33
93/94 バルセロナ 37
94/95 バルセロナ 34
95/96 バルセロナ 8 28
96/97 バルセロナ 18 26
97/98 バルセロナ 18 23
98/99 フィオレンティーナ(イタリア) 7 16
99/00 フィオレンティーナ(イタリア) 7
00/01 ビジャレアル 17 35
01/02 ビジャレアル 17 29
02/03 リヴィングストン(スコットランド)
広い視野と卓越した戦術眼、小気味の良いパスワークにて中盤でのバランス取りに注力するバルセロナ生え抜きのボランチ。CBとしても起用される高い守備力も折り紙つきです。

バレンシア州に生まれますが、バルセロナの下部組織に入団します。トップチームのクライフ監督にその才能を見いだされ、1988年に昇格します。するといきなり27試合8得点と好成績をおさめ、カップウィナーズ杯と国内カップの2冠獲得に成功します。
昇格2年目の89/90シーズンより絶対的な地位を確立させると、3年目にはリーグ優勝、以降4連覇を達成、チャンピオンズ杯も制しクラブに初のビッグイヤーをもたらすなど(決勝サンプドリア戦ではプレーせず)。ロマーリオ、ストイチコフ、M・ラウドルップ、グアルディオラといったタレントが多くそろった「ドリーム・チーム」が築いた黄金期に不可欠の存在となったのです。
しかし95/96シーズン途中にクライフ監督がフロントと衝突して辞任し、「ドリーム・チーム」は終焉の時を迎えます。2シーズン後にファン・ハール監督が就任すると、オランダ人選手が大量に加入、翌シーズンにデ・ラ・ペーニャ、フェレールといった同じ下部組織出身の面々と共に放出されます。ミゲリ、レシャックに次ぐ328試合の出場記録を残してクラブを後にしました。
98/99シーズンにセリエA参戦を果たすものの、トラパットーニ監督からの信頼を得られず、失意のうちにイタリアを後にします。そして1部に昇格したビジャレアルに移籍して本来の動きを取り戻し、精神的支柱として2年間、1部残留に多大な役割を果たしました。
スコットランドで引退した後は解説者になり、指導者としても2003年から4年間バルセロナの下部組織を統括し、2010年にテクニカルディレクターになっています。

1994年11月14日チェコ・スロヴァキア戦で代表デビュー。2年後の欧州選手権ではルーマニア戦で貴重な追加点を挙げ、グループリーグ突破に貢献します。
クラブでは控えでしたが、クレメンテ代表監督からの信頼は厚く、1998年W杯予選では11試合に出場し、スロヴァキア戦でゴールを挙げました。本大会メンバーにも選ばれ3試合ピッチに立ちますが、まさかのグループリーグ敗退に終わっています。
代表記録 37試合4得点
2014年9月12日:新規アップ