アマラオ(AMARAL) | |||||||||||||||||||||||||||||
フルネーム | ワグネル・ペレイラ・カルドゾ | ||||||||||||||||||||||||||||
国籍 | ブラジル | ||||||||||||||||||||||||||||
出身地 | サンパウロ | ||||||||||||||||||||||||||||
生年月日 | 1966・10・16 | ||||||||||||||||||||||||||||
身長 | 183cm | ||||||||||||||||||||||||||||
体重 | 76kg | ||||||||||||||||||||||||||||
利き足 | 右 | ||||||||||||||||||||||||||||
ポジション | FW(CF) | ||||||||||||||||||||||||||||
FK PK | |||||||||||||||||||||||||||||
キャプテン経験 | |||||||||||||||||||||||||||||
代表デビュー | |||||||||||||||||||||||||||||
代表背番号 | |||||||||||||||||||||||||||||
W杯メンバー | |||||||||||||||||||||||||||||
ニックネーム | ※ | ||||||||||||||||||||||||||||
個人タイトル | 07Jリーグ功労選手賞 | ||||||||||||||||||||||||||||
チームタイトル | |||||||||||||||||||||||||||||
所属クラブおよび背番号 | 出場 | 得点 | |||||||||||||||||||||||||||
89 イトゥーアーノ(2部) | |||||||||||||||||||||||||||||
90 イトゥーアーノ(2部) | |||||||||||||||||||||||||||||
91 イトゥーアーノ(2部) | |||||||||||||||||||||||||||||
92 パルメイラス | |||||||||||||||||||||||||||||
92 東京ガス(日本JFL) | 16 | 7 | |||||||||||||||||||||||||||
93 東京ガス(日本JFL) | 17 | 8 | |||||||||||||||||||||||||||
94 東京ガス(日本JFL) | 30 | 20 | |||||||||||||||||||||||||||
95 東京ガス(日本JFL) | 28 | 16 | |||||||||||||||||||||||||||
96 東京ガス(日本JFL) | 25 | 17 | |||||||||||||||||||||||||||
97 東京ガス(日本JFL) | 25 | 18 | |||||||||||||||||||||||||||
98 東京ガス(日本JFL) | 24 | 15 | |||||||||||||||||||||||||||
99 FC東京(日本J2) 11 | 26 | 15 | |||||||||||||||||||||||||||
00 FC東京(日本) 11 | 22 | 13 | |||||||||||||||||||||||||||
01 FC東京(日本) 11 | 25 | 17 | |||||||||||||||||||||||||||
02 FC東京(日本) 11 | 29 | 15 | |||||||||||||||||||||||||||
03 FC東京(日本) 11 | 25 | 4 | |||||||||||||||||||||||||||
04 湘南ベルマーレ(日本J2) 12 | 19 | 2 | |||||||||||||||||||||||||||
05 ホリコシ(日本JFL) | 24 | 15 | |||||||||||||||||||||||||||
06 アルテ高崎(日本JFL) | 4 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
07 アルテ高崎(日本JFL) | 0 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
09 FC刈谷(日本JFL) | |||||||||||||||||||||||||||||
恵まれた体格でのヘディングとポストプレーで起点となるほか、自らも裏への走りこみやドリブルといった仕掛けでチームの攻撃を担うCF。献身的な守備も特徴で、自陣の低い位置まで戻ることもある豊富な運動量も魅力です。 8歳頃からペラーダ(草サッカー)を始め、9歳でアマチュアのクラブ、ポンチ・プレッタに入ります。当初はCBとしてプレーしていましたが、15歳頃にFWに転向し、すぐに結果を出しました。 1987年にコメンシアルとプロ契約し、カッピバリアーノ、イトゥーアーノと渡り歩いた後、1992年には名門パルメイラスにレンタル移籍しました。 レンタル終了後の1992年に当時JFLだった東京ガスに移籍すると、ハイペースでゴールを量産。2試合に1点以上挙げる決定力で、チームの絶対的なエースとして君臨します。 1999年、Jリーグに参戦してFC東京になるチームとプロ契約を交わします。ケガで戦線を離れた時期もありましたが、9月19日仙台戦でのハットトリックなど15ゴールを挙げました。 来日から9年目、ようやくJ1という桧舞台に足を踏み入れます。7月8日川崎F戦でのハットトリックなど13ゴールを挙げ、相棒のトゥットも17ゴールを挙げる強力2トップを結成。続く2001年11月3日C大阪戦、2002年8月3日柏戦とJ1で3度のハットトリックを決めました。 しかし2003年に世代交代の波に飲まれJ2湘南へ。コンディション調整が思わしくなく、加齢の影響もあって満足にプレーできませんでした。その後はホリコシを経て、2009年よりFC刈谷でプレーし、監督にも就任しています。 J1リーグ:101試合49得点 J2リーグ:45試合17得点 JFLの東京ガスからJ1でのFC東京まで一度も移籍しませんでした。在籍時に出場した試合が330試合あり、外国人選手の同一チームでの出場試合数では最多記録です。 下部リーグ時代からFC東京を牽引し、J1昇格を達成させたことで「キング・オブ・トーキョー」というニックネームがあり、東京を離れた後もサポーターから絶大な人気を誇っています。 ※:キング・オブ・トーキョー 2012年10月17日更新 |