セルゲイ・アレイニコフ(Sergei ALEINIKOV) | |||||||||||||||||||||||||||||
フルネーム | セルゲイ・イェヴゲニェヴィチ・アレイニコフ | ||||||||||||||||||||||||||||
国籍 | ベラルーシ | ||||||||||||||||||||||||||||
出身地 | ミンスク | ||||||||||||||||||||||||||||
生年月日 | 1961・11・7 | ||||||||||||||||||||||||||||
身長 | 182cm | ||||||||||||||||||||||||||||
体重 | 74kg | ||||||||||||||||||||||||||||
利き足 | 右 | ||||||||||||||||||||||||||||
ポジション | MF(DMF) | ||||||||||||||||||||||||||||
FK PK | |||||||||||||||||||||||||||||
キャプテン経験 | 代表 | ||||||||||||||||||||||||||||
代表デビュー | 1984・3・28 西ドイツ戦 |
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代表背番号 | 7 9 | ||||||||||||||||||||||||||||
W杯メンバー | 86年 90年 94年 |
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ニックネーム | |||||||||||||||||||||||||||||
個人タイトル | |||||||||||||||||||||||||||||
チームタイトル | 82ソ連リーグ | ||||||||||||||||||||||||||||
89/90コッパ・イタリア | |||||||||||||||||||||||||||||
89/90UEFAカップ | |||||||||||||||||||||||||||||
所属クラブおよび背番号 | 出場 | 得点 | |||||||||||||||||||||||||||
81 ディナモ・ミンスク | 14 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
82 ディナモ・ミンスク | 21 | 8 | |||||||||||||||||||||||||||
83 ディナモ・ミンスク | 29 | 2 | |||||||||||||||||||||||||||
84 ディナモ・ミンスク | 31 | 3 | |||||||||||||||||||||||||||
85 ディナモ・ミンスク | 32 | 5 | |||||||||||||||||||||||||||
86 ディナモ・ミンスク | 21 | 6 | |||||||||||||||||||||||||||
87 ディナモ・ミンスク | 28 | 2 | |||||||||||||||||||||||||||
88 ディナモ・ミンスク | 28 | 3 | |||||||||||||||||||||||||||
89 ディナモ・ミンスク | 16 | 2 | |||||||||||||||||||||||||||
89/90 ユヴェントス(イタリア) | 30 | 3 | |||||||||||||||||||||||||||
90/91 レッチェ(イタリア) | 29 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
91/92 レッチェ(イタリア2部) | 30 | 2 | |||||||||||||||||||||||||||
93 ガンバ大阪(日本) | 15 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
94 ガンバ大阪(日本) | 32 | 6 | |||||||||||||||||||||||||||
95 ガンバ大阪(日本) | 36 | 8 | |||||||||||||||||||||||||||
96 オデヴォルド(スウェーデン) | 5 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
97/98 コリリャーノ(イタリア5部) | 9 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
中盤の底でのキープとゲームメークでチームの攻撃にリズムをもたらし、パワフルなミドルも兼備します。数少ない旧ソ連出身のJリーガーです。 81シーズンに地元のD・ミンスクでプロ生活のスタートを切ります。翌シーズンに8得点を挙げてリーグ優勝に多大な役割を果たし、以降中盤に欠かせない絶対的な存在となりました。 89シーズン終了後にユヴェントスに入団、後に共にJを盛り上げるFWスキラッチやポルトガル代表R・バロシュらと共に国内カップを制します。また、UEFA杯でもPSGやハンブルガーなどを下し、同国対決となったフィオレンティーナとの決勝を3−1で制しました。レッチェでもブラジル代表マジーニョやコンテと中盤を組むものの降格、翌シーズンも昇格に絡めませんでした。 93シーズンにG大阪に入団して8月4日浦和戦でJデビューし、礒貝と共にゲームを作ります。2年目には旧ソ連代表の元同僚プロタソフ、山口敏とのホットラインを形成し、自身も6得点を挙げました。翌シーズンはオランダ代表ヒルハウスも加わり、自らもキャリア最多タイの8得点を挙げるなどチームの攻撃力は上がりますが、2ケタ順位から抜け出せませんでした。 イタリアの5部で引退した後は指導者として若手の育成に携わっています。 1984年3月28日西ドイツ戦でソ連代表デビュー。2年後のW杯予選は8試合、本戦では4試合に出てハンガリー戦で得点を挙げ、グループリーグを突破しました。 1988年欧州選手権予選は7試合で1得点を挙げます。5試合に出た本戦はイングランド戦で得点を挙げて決勝に進みますが、オランダに敗れました。 1990年W杯予選は7試合、本戦は3試合戦いますが、グループリーグ最下位に終わります。その後ソ連が崩壊し、CIS代表として1992年欧州選手権で2試合プレーしました。 ベラルーシ代表としては1992年10月28日ウクライナ戦で初出場し、4試合に出ました。 代表記録 77試合6得点 2016年7月30日:新規アップ |