フルネーム デメトリオ・アルベルティーニ
国籍 イタリア
出身地 ミラノ
生年月日 1971・8・23
身長 180cm
体重 77kg
利き足
ポジション MF(CMF)
FK PK FK PK
キャプテン経験 クラブ
代表デビュー 1991・12・21
キプロス戦
代表背番号 4 9 10 11
W杯メンバー 94年 98年
ニックネーム コンダクター
個人タイトル  
チームタイトル U−21UEFA欧州選手権
91/92,92/93,93/94,95/96,98/99セリエA
93/94UEFAチャンピオンズ・リーグ
03/04コパ・イタリア
04/05リーガ・エスパニョーラ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
88/89 ミラン
89/90 ミラン
90/91 パドヴァ 28
91/92 ミラン 4 28
92/93 ミラン 4 29
93/94 ミラン 4 26
94/95 ミラン 4 30
95/96 ミラン 4 30
96/97 ミラン 4 29
97/98 ミラン 4 28
98/99 ミラン 4 29
99/00 ミラン 4 26
00/01 ミラン 4 12
01/02 ミラン 4 24
02/03 アトレティコ・マドリー(スペイン) 14 28
03/04 ラツィオ 4 23
04/05 アタランタ 4 14
04/05 バルセロナ(スペイン) 22
卓越した戦術眼と広い視野を持ち、正確なパスを駆使してゲームを作ります。プレースキックとミドルシュートにも定評があり、その実力は「ジャンニ・リヴェラの再来」と言われるほどです。

17歳でミランの入団試験に合格してユースチームに加入します。1989年1月15日のコモ戦でセリエAデビューを果たしますが、当時のトップチームにはファン・バステン、ライカールト、フリットの「オランダ・トリオ」をはじめとするスターがひしめいており、出場機会を求めてパドヴァへレンタル移籍します。ここで28試合5得点と実績を作ってミランに戻りました。
そしてレギュラーポジションを得てリーグ3連覇、チャンピオンズ・リーグ制覇など重要なタイトルを次々に獲得します。サヴィチェヴィッチ、ボバン、レオナルド、ルイ・コスタら歴戦のMFが加入してきましたが、中盤の底でこれらの選手たちと良好な縦の関係を築き、安定感のあるプレーをしていたので、自身の存在はゆるぎないものとなっていました。
しかし02/03シーズンはピルロの台頭でアンチェロッティ監督の構想外となり、スペインのA・マドリーへレンタル移籍します。ここでL・ガルシアやF・トーレスといったアタッカーを背後から支え、第18節マドリードダービーでは終了間際にFKから同点ゴールを挙げました。
そしてミランに復帰しますが、成長著しいピルロの前に居場所はなく、ラツィオにレンタル移籍します。フィオーレやリヴェラーニといった後進の手本となり、UEFA杯出場権を獲得しました。
アタランタを経て、元同僚ライカールト率いるバルセロナで引退しました。

ユース時代はU−21欧州選手権を制覇します。バルセロナ五輪ではアメリカ戦でゴールを決めるなど3試合に出場してベスト8に進出しました。
フル代表には1991年12月のキプロス戦で初出場し、欧州選手権とW杯に2回ずつ出場。1994年W杯で7試合、2000年欧州選手権で5試合戦い準優勝になりました。
1998年W杯予選は5試合、本戦でも全4試合に出場しますが地元フランスに敗戦。2002年W杯予選は5試合出場するもののアキレス腱を負傷し、本大会を棒に振っています。
代表記録 79試合2得点
※:デメトリオ・アルベルティーニ(Demetrio ALBERTINI)
2007年2月6日:新規アップ 2012年9月6日更新