カルロス・アギレラ(Carlos AGUILERA) | |||||||||||||||||||||||||||||
フルネーム | カルロス・アルベルト・アギレラ・ノバ | ||||||||||||||||||||||||||||
国籍 | ウルグアイ | ||||||||||||||||||||||||||||
出身地 | モンテビデオ | ||||||||||||||||||||||||||||
生年月日 | 1964・9・21 | ||||||||||||||||||||||||||||
身長 | 166cm | ||||||||||||||||||||||||||||
体重 | 62kg | ||||||||||||||||||||||||||||
利き足 | 右 | ||||||||||||||||||||||||||||
ポジション | FW(ST) | ||||||||||||||||||||||||||||
FK PK | |||||||||||||||||||||||||||||
キャプテン経験 | |||||||||||||||||||||||||||||
代表デビュー | 1982・2・22 中国戦 |
||||||||||||||||||||||||||||
代表背番号 | 4 17 20 18 | ||||||||||||||||||||||||||||
W杯メンバー | 86年 90年 | ||||||||||||||||||||||||||||
ニックネーム | アヒル | ||||||||||||||||||||||||||||
個人タイトル | 83CONMEBOLコパ・アメリカ得点王(3得点) | ||||||||||||||||||||||||||||
89コパ・リベルタドーレス得点王(10得点) | |||||||||||||||||||||||||||||
チームタイトル | 80コパ・リベルタドーレス | ||||||||||||||||||||||||||||
83,94〜97,99ウルグアイリーグ | |||||||||||||||||||||||||||||
83CONMEBOLコパ・アメリカ | |||||||||||||||||||||||||||||
92/93コッパ・イタリア | |||||||||||||||||||||||||||||
所属クラブおよび背番号 | 出場 | 得点 | |||||||||||||||||||||||||||
80 リーベル・プレート | |||||||||||||||||||||||||||||
81 リーベル・プレート | |||||||||||||||||||||||||||||
82 リーベル・プレート | |||||||||||||||||||||||||||||
83 ナシオナル | |||||||||||||||||||||||||||||
84 ナシオナル | |||||||||||||||||||||||||||||
85 ナシオナル | |||||||||||||||||||||||||||||
85 インデペンディエンテ(コロンビア) | |||||||||||||||||||||||||||||
86 ナシオナル | |||||||||||||||||||||||||||||
86/87 ラシン・クラブ(アルゼンチン) | 11 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
87 ナシオナル | |||||||||||||||||||||||||||||
87/88 テコス(メキシコ) | 34 | 9 | |||||||||||||||||||||||||||
88 ペニャロール | |||||||||||||||||||||||||||||
89 ペニャロール | |||||||||||||||||||||||||||||
89/90 ジェノア(イタリア) | 31 | 8 | |||||||||||||||||||||||||||
90/91 ジェノア(イタリア) | 31 | 15 | |||||||||||||||||||||||||||
91/92 ジェノア(イタリア) | 34 | 10 | |||||||||||||||||||||||||||
92/93 トリノ(イタリア) | 31 | 12 | |||||||||||||||||||||||||||
93/94 トリノ(イタリア) | 6 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
94 ペニャロール | |||||||||||||||||||||||||||||
95 ペニャロール | 15 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
96 ペニャロール | 15 | 4 | |||||||||||||||||||||||||||
97 ペニャロール | 19 | 4 | |||||||||||||||||||||||||||
98 ペニャロール | 7 | 2 | |||||||||||||||||||||||||||
99 ペニャロール | 0 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
小柄な体躯で俊敏性と加速性、ボールへの反応に優れたアタッカー。パワフルなミドルや正確なFKと遠目からも相手ゴールを脅かします。 地元のリーベルにて16歳でプロのキャリアをスタートさせます。移籍したナシオナルでは1年目にリーグ優勝しますが、その後順位は徐々に下がりました。 コロンビアで成功した後アルゼンチンとメキシコに渡ります。前者では1ゴールでチームも15位に終わりますが、後者ではJ・エルナンデス(チチャリートの父親)と前線でコンビを組み、リーグ4位になりました。ペニャロールでは国内で優勝争いに絡みます。89シーズンにはリベルタドーレスで16強になり、自身は10ゴールを挙げてアマリージャと得点王を分け合いました。 その後ジェノアに移籍し、パズ、ペルドモという同胞のMFと共に活躍します。2年目からはチェコ代表スクラヴィーとの2トップでリーグ4位となりました。これにより出場権を得た3年目のUEFA杯では9試合で8ゴールをマークし、ベスト4になりました。トリノでの1年目はベルギー代表シーフォとのホットラインで3年連続2ケタ得点を達成し、コッパ・イタリアを制しました。 94シーズンにペニャロールに復帰。M・オテーロ、D・シルバ、サラジェタ、L・A・ロメロのバックアッパーとして5度のリーグ優勝を果たし、99シーズンに引退しました。 1981年Wユースで3試合戦って1ゴールを挙げます。2年後も出場して4試合戦い、ポーランド相手の2ゴールなど計3ゴールを挙げました。 フル代表デビューは1982年2月22日の中国戦。翌年のコパ・アメリカでは8試合3ゴールで優勝に貢献しました。1989年大会も4試合と主力でしたが、準優勝に終わりました。 W杯は1986年大会こそ出場機会がなかったものの、1990年大会は4試合に出てベスト16になりました。1998年大会の予選にも召集され、エクアドル戦でゴールを決めています。 代表記録 65試合23得点 2016年10月26日:新規アップ |