セルヒオ・アグエロ(Sergio AGUERO)
フルネーム セルヒオ・リオネル・アグエロ・デル・カスティージョ
国籍 アルゼンチン アグエロ
出身地 ブエノスアイレス
生年月日 1988・6・2
身長 172cm
体重 74kg
利き足
ポジション FW(CF)
FK PK PK
キャプテン経験  
代表デビュー 2006・9・3
ブラジル戦
代表背番号 11 16 19 20
W杯メンバー 10年 14年
18年
ニックネーム クン
個人タイトル 07FIFA年間最優秀若手選手
07FIFAU-20ワールドカップ最優秀選手・得点王(6得点)
07ゴールデンボーイ賞(トゥット・スポルト誌)
07/08リーガ・エスパニョーラ最優秀外国人選手(ドン・バロン)
14/15プレミアリーグ得点王
17/18,18/19プレミアリーグベストイレブン(PFA)
チームタイトル 05FIFAワールドユース
07FIFAUー20ワールドカップ
08北京オリンピック金メダル
09/10UEFAヨーロッパリーグ
11/12,13/14,17/18,18/19プレミアリーグ
13/14,17/18,18/19イングランドリーグ・カップ
18/19FAカップ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
03/04 インデペンディエンテ 20
04/05 インデペンディエンテ 20 12
05/06 インデペンディエンテ 10 36 18
06/07 アトレティコ・マドリー(スペイン) 10 38
07/08 アトレティコ・マドリー(スペイン) 10 37 20
08/09 アトレティコ・マドリー(スペイン) 10 37 17
09/10 アトレティコ・マドリー(スペイン) 10 31 12
10/11 アトレティコ・マドリー(スペイン) 10 32 20
11/12 マンチェスター・シティ(イングランド) 16 34 23
12/13 マンチェスター・シティ(イングランド) 16 30 12
13/14 マンチェスター・シティ(イングランド) 16 23 17
14/15 マンチェスター・シティ(イングランド) 16 33 26
15/16 マンチェスター・シティ(イングランド) 10 30 24
16/17 マンチェスター・シティ(イングランド) 10 31 20
17/18 マンチェスター・シティ(イングランド) 10 25 21
18/19 マンチェスター・シティ(イングランド) 10 33 21
19/20 マンチェスター・シティ(イングランド) 10    
圧倒的なスピードと巧みなテクニックを兼ね備えたドリブル突破で相手ゴールを脅かします。また、当たりに強くキープ力もあるため、小柄ながらポストプレーもできます。

元サッカー選手の父親の元に7人兄弟の2番目として、ブエノスアイレスの貧民街に生まれます。父親の仕事の都合上、市内を転々としますが、厳しい生活の中にもサッカーに喜びを見出してストリートで技を磨き、5歳頃から地元アルヘンティノスの少年チームに入りました。
9歳の時に応援していたインデペンディエンテに移ります。6人制のサッカーの後、13歳でクラブと契約します。そして年上の相手と渡り合い、潜在能力を開花させました。
トップチームのルジェリ監督により、2003年7月5日サン・ロレンソ戦の後半に途中出場してトップリーグデビューします。15歳35日は後に義理の父となるマラドーナの最年少プロデビュー記録(15歳11ヶ月20日)を塗り替えることとなり、大きな注目を集めたのです。2004年11月28日エストゥデアンテス戦ではプロ初ゴールをマークしました。
05/06シーズンより背番号10を背負い、攻撃の柱としてゴールを量産。9月11日のラシンとのクラシコでは、3回もフェイントをかけて相手DFを翻弄した後左足を振りぬきゴールを挙げ、初めてライバルから勝利します。さらに2月25日の2度目の対戦でも後半にロングシュートを叩き込むなど2ゴールを挙げ、チームを勝利に導きました。また、ベレスやニューウェルスといった名門から2ゴールを挙げるなど18ゴールをマークしました。
その能力は欧州でも話題となり、ビジャレアル、インテル、バイエルン、チェルシー、バルサ、R・マドリーなどの争奪戦の末、2006年7月に約34億5千万の移籍金でA・マドリーと5年契約を結びます。GKのL・フランコやMFマキシ、イバガサら同胞の存在が入団を後押ししました。入団発表ではスタジアムには大勢のサポーターが駆けつけ、背番号も10となります。8月27日ラシン戦でリーガにデビューし、9月17日ビルバオ戦で初ゴールを挙げました。
2年目はF・トーレスが退団したため、エースとしての活躍を期待されます。そして新加入のフォルランと共にゴールを量産し、リーガ3位の20ゴールを挙げました。開幕戦のマドリードダービーでは敗れはしたもののゴールを挙げ、2008年3月1日バルサ戦は2ゴールを決めて勝利に貢献しました。UEFA杯でも6試合で5ゴールと役割を果たしました。
08/09シーズンはチャンピオンズ・リーグに初出場し、グループリーグ6試合で4ゴールを挙げ決勝トーナメントに進みます。国内でもバルサから1試合2ゴールを挙げました。
09/10シーズン、チャンピオンズ・リーグではホームのチェルシーから2ゴールを挙げますが勝ち切れず、ヨーロッパリーグに回ります。同大会ではアウェーのスポルティング戦での2ゴールのみでしたが、フルハムとの決勝で2アシストをマークして初代王者に輝きました。
10/11シーズン、欧州スーパー杯でインテルを下すゴールを決めます。リーグでは3月から7連続ゴールや最終節マジョルカ戦のハットトリックなど20ゴールを挙げ、国内カップとヨーロッパリーグでも3ゴールずつと文句なしの成績を残してマンチェスター・Cへ移ります。
2011年8月15日スウォンジー戦では後半から途中出場して2ゴール1アシストを決め、本拠ウィガン戦ではハットトリックを達成。最終節QPR戦でも決勝点を挙げるなど23ゴール8アシストでクラブ44年ぶりのリーグ制覇に貢献。チャンピオンズ・リーグでは6試合で1ゴールと沈黙してグループリーグで敗れましたが、ヨーロッパリーグではアウェーゴールの差で敗れた決勝トーナメント2回戦スポルティング戦など4試合4ゴールを挙げました。12/13シーズンはゴール数が半減して2位に終わり、R・マドリー相手にゴールを挙げたチャンピオンズ・リーグでは一度も勝てずにグループリーグ敗退となりました。リーズとチェルシー相手に計3ゴールを挙げて決勝に進んだFA杯もプレミアからの降格が決まったレディングにまさかの敗戦を喫しました。
翌シーズンはマンチェスター・ダービーでの2ゴールなど17ゴールを挙げて覇権を奪回すると、FA杯ではワトフォード戦でハットトリックを達成しました。チャンピオンズ・リーグではバイエルン相手に仕事はできませんでしたが、本田圭擁するC・モスクワ相手の2試合4ゴールなど、ケガに苦しみながらも公式戦でチーム最多の32ゴールを挙げました。
14/15シーズンはトッテナム戦で1試合4ゴール、QPR戦でハットトリック、ダービーでも2試合3ゴールを挙げて得点王に輝きますが、連覇はなりませんでした。チャンピオンズ・リーグでは本拠バイエルン戦でハットトリックを達成しますが、R16でバルサに敗れました。
翌シーズンはニューカッスル戦での5ゴールやチェルシー戦のハットトリックなど24ゴールを挙げますが、得点王ケインに1点差で及びませんでした。9試合プレーしたチャンピオンズ・リーグでは2ゴールに終わりますが、クラブ初のベスト4進出を果たしました。
16/17シーズンもリーグ戦では終盤にリヴァプール、アーセナル、チェルシー含む5試合連続ゴールなど20ゴールを挙げました。チャンピオンズ・リーグでもボルシアMG戦でハットトリック、R16モナコ戦でも2ゴールを挙げますが、アウェーゴールの差で敗退しました。
翌シーズンもワトフォード戦のハットトリック含む6連発、ニューカッスル戦のハットトリック、レスター戦の4ゴールなどでクラブ4年ぶりの優勝に貢献しました。チャンピオンズ・リーグは7試合で4ゴールを挙げてベスト8になりました。
18/19シーズンはチェルシーとアーセナルとチェルシー相手にハットトリックするなどリーグ連覇と、史上初の国内3冠を達成しました。チャンピオンズ・リーグでも6ゴールと役割を果たしますが、トッテナムとの同国対決で敗れました。

2005年のWユースにはU-17から飛び級でメンバーに入って4試合に出場。ノーゴールに終わりましたが、FWメッシやMFガゴと共に優勝を経験しました。
2006年W杯終了後にバシーレ監督からフル代表への召集を受け、9月3日宿敵ブラジルとの親善試合でデビューしました。その後U-20代表に合流して2007年のU-20W杯に出場。背番号10と腕章を任され、6ゴールを挙げてチームを2連覇に導きました。
さらに翌年の北京五輪でもメッシやリケルメと共に前線を担い、5試合に出場。ブラジルとの準決勝で2ゴールを挙げて2連覇に貢献しました。
2010年W杯予選では12試合で4ゴールを挙げ、途中で就任したマラドーナ監督により本大会メンバーにも選ばれます。本大会は3試合に出場も不発に終わりました。
2011年コパ・アメリカでは4試合3ゴールと結果を残しましたが、ウルグアイに敗れました。2014年W杯予選は8試合で5ゴール、特にコロンビア戦での決勝点やエクアドル戦で勝ち点を拾うPKでチームの1位通過に役割を果たしました。本大会では5試合出場もケガもありフル稼働とはいきませんでしたが、盟友メッシのためにチームプレーをこなしました。
2015年コパ・アメリカでもウルグアイやパラグアイから3ゴールを決めますが、開催国チリの前に決勝でPK負けを喫します。翌年は5試合で1ゴールに終わり、チリとの再戦となった決勝戦はスコアレスドローになりPKになります。メッシの失敗をマスチェラーノと共にカバーしますが、次のビリアが失敗して相手が決めたことで2年連続でタイトルを逃しました。
2018年W杯予選は8試合でノーゴールに終わりました。3度目の本大会は4試合で2ゴールを挙げますが、いずれもチームの勝利に結びつきませんでした。
代表記録

余談
・「クン」というニックネームは、少年時代に好んで観ていた日本のアニメのタイトル「わんぱく大昔クムクム」にちなんでいます。アニメ放映の日に練習を休んだという逸話もあり、スペインとイングランド共に「クン・アグエロ」という名前で登録されています。
・名将メノッティにして、「アルゼンチンのロマーリオ」と評されています。
2011年3月25日:新規アップ 2019年8月23日更新