ディック・アドフォカート(Dick ADVOCAAT)
フルネーム ディック・アドフォカート
国籍 オランダ
出身地 ハーグ
生年月日 1947・9・27
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
経歴 1987〜89 ハーレム
1989〜91 SVV
1991〜92 ドルトレヒト
1992〜94 2002〜04 2017〜17 オランダ代表
1995〜98 PSV
1998〜01 レンジャーズ(スコットランド)
2004〜05 ボルシアMG(ドイツ)
2005〜05 UAE代表
2005〜06 韓国代表
2006〜09 ゼニト(ロシア)
2009〜10 ベルギー代表
2010〜12 ロシア代表
2012〜13 PSV
2013〜14 AZ
2014〜14 セルビア代表
2015〜16 サンダーランド(イングランド)
2016〜16 オランダ代表アシスタントコーチ
2016〜17 フェネルバフチェ(トルコ)
2018〜   スパルタ
獲得タイトル 95/96オランダカップ
96/97エールディヴィジ
99/00,00/01スコットランドリーグ
99/00,00/01スコットランドカップ
07ロシアリーグ
07/08UEFAカップ
現役時代はデンハーグやユトレヒトなど国内でCBや守備的MFとしてプレー。オランダ代表歴はありませんが、15シーズンを過ごしました。アメリカやベルギーでもプレー経験があります。

保守的で慎重な性格ですが、攻撃サッカーを信条とします。フォーメーションはオランダ伝統の3−4−3、4−3−3に加え、4−4−2も採用しています。
厳格な一面も持ち、選手との間で軋轢が起こることもあります。

現役を退いたのは1979年でしたが、25歳の時にコーチングライセンスを取得し、現役と並行してコーチも兼任していました。ハーレムやSVVなど国内のクラブを率いた後、1992年にオランダ代表監督のリヌス・ミケルスに招聘され、アシスタントコーチを務めました。
半年後に監督に昇格し、ノルウェーやイングランドなど強者と同居する地区予選を突破して1994年W杯出場権を獲得します。確執が露呈したフリットが代表から離脱したり、エースであるファン・バステンの負傷があったりとチームの状況は決して良くなかったものの、準々決勝で敗れたブラジル戦は大会のベストゲームに数えられました。
その後PSVに就任します。当時アヤックスが国内や欧州の主役であり、地味な人物と位置付けられていたこともあって話題性に欠きましたが、就任1年目はロナウドとニリスのアタッカー陣が爆発してリーグ最多の97得点を記録、失点も25の成績を残します。それでも全盛期のアヤックスにはかないませんでしたが、UEFA杯ではベスト4まで勝ち進み意地を見せました。
翌96/97シーズンはロナウドがバルセロナへ去りましたが、ニリスやヨンク、コクー、ゼンデンらがその穴を埋め、再び最多得点、最小失点でリーグを制しました。翌シーズンはチャンピオンズ・リーグとの過密日程が響いて王座をアヤックスに明渡すことになり、辞任しました。
その後スコットランドの強豪レンジャーズの監督に就任すると、2度のリーグ優勝、国内カップとリーグ杯をそれぞれ1度制し、クラブの黄金時代を持続させました。
そして母国オランダが2002年W杯の出場権を逃してファン・ハール監督が辞任、これを受けて2度目の代表就任となります。2004年欧州選手権予選では宿敵チェコと同じグループに入り1分1敗と結果を残せず2位になります。プレーオフではスコットランドにアウェーで敗れたものの、ホームではファン・ニステルローイのハットトリックなど6−0と大勝して出場を決めました。本大会ではチェコ、ドイツと同居したグループリーグを突破しますが、開催国ポルトガルの前に準決勝で敗退。若手よりベテランを重用した采配に批判が集まり辞任しました。
ボルシアMGととUAEを短期間率いた後、ボンフレール監督の後を継いで2005年秋に韓国代表に就任。ヒディンク監督の下で2002年ベスト4になった時スタッフだったフェルベークや、同国の英雄ホン・ミョンボをコーチに迎えます。2006年W杯では初戦のトーゴに勝ち、フランスと引き分けましたが、スイスに2−0で敗れ決勝トーナメント進出を逃しました。
その後はゼニトで指揮を取り、モスクワ勢が強さを見せる中、07シーズンにクラブ23年ぶりの優勝を達成します。さらにビジャレアル、マルセイユ、レヴァークーゼン、バイエルンと列強を打ち破り、決勝ではかつて率いたレンジャーズを下してクラブ初のUEFA杯制覇を成し遂げ、その後のスーパー杯ではマンチェスター・Uに勝利しました。08/09シーズンにはクラブ初のチャンピオンズ・リーグ出場となりますが、R・マドリーとユヴェントスの前にグループリーグ3位となり、UEFA杯では決勝トーナメント2回戦でウディネーゼに敗れました。
その後ベルギー代表に就任するものの翌年4月に辞任し、同胞ヒディンクの後を受けてロシア代表に就任します。2012年欧州選手権予選ではアルシャヴィンが無得点で守護神アキンフェエフもケガで離脱しますが、ジャゴエフが8試合4得点と成長。スロヴァキア戦での1敗という安定感で、アイルランドをかわして首位で3大会連続出場を果たします。グループリーグでもチェコ相手にジャゴエフの2得点などで4−1と快勝し、ホストのポーランドと引き分けます。続くギリシャ戦では前半終了間際に先制を許し、パヴリュチェンコ、ポグレブニャク、イズマイロフを投入して怒涛の攻撃を見せたものの、相手の守備を崩せず3位に終わりました。
12/13シーズンのPSVでは4人も2ケタ得点者が生まれるなど、リーグ最多の103得点をマークしましたが、守備が不安定で2位に終わりました。ヨーロッパリーグではグループリーグで敗退しました。翌シーズンは第10節からAZに就任。国内リーグでは4連敗を喫して優勝争いから後退しましたが、ヨーロッパリーグでは準々決勝に進みました。
2014年W杯の後にセルビア代表に就任。リャイッチやスボティッチを構想外にするなどベストメンバーを組めず、2016年欧州選手権予選はアルバニア戦が没収試合となり勝ち点3をはく奪され、デンマークに惨敗した後に解任されました。
14/15シーズンの終盤にサンダーランドに就任。チームに守備意識を植え付け1部に残留します。しかし2年目は開幕8試合で3分け5敗と精彩を欠いて解任されました。
オランダ代表のアシスタントコーチを経て、16/17シーズン開幕前にフェネルバフチェに応えます。しかしシーズン終了を待たずして3度目のオランダ代表就任が発表されます。
2018年W杯予選は第6節ルクセンブルク戦から指揮し、5−0で圧勝。その後フランスに4失点し、2位を争うスウェーデン戦に勝つものの得失点差で及ばず敗退しました。
その後は母国のスパルタに就任しています。

2006年9月9日:新規アップ 2018年2月7日更新

94オランダ代表(W杯ベスト8)
  ベルカンプ  
V・フォッセン オフルマルス
Ro・ヴィチュヘ ヴィンター
ヨンク ライカールト
ヴァウタース ファルクス
  クーマン  
  デ・フーイ  

96/97PSV(国内リーグ優勝)
ニリス ディグリース
ゼンデン ペトロヴィッチ
コクー ヨンク
ニューマン バンペッタ
ファルクス スタム
  ワータラウス  

99/00レンジャーズ(国内リーグ・カップ優勝)
ドッズ ウォレス
アルベルツカンチェルスキス
ジオB・ファーガソン
ニューマンポリーニ
ムーアアモルーゾ
 クロス 

04オランダ代表(欧州選手権ベスト4)
 Vニステルロイ 
ロッベンV・デルメイデ
ダーヴィッツセードルフ
 コクー 
ジオライツィハー
ボウマスタム
 V・デルサール 

06韓国代表(W杯出場)
 チョ・ジェジン 
イ・チョンスパク・チソン
イ・ウルヨンイ・ホ
 キム・ナミル 
キム・ドンジンイ・ヨンピョ
チェ・ジンチョルキム・ジンギュ
 イ・ウンジェ 

07/08ゼニト(UEFA杯優勝)
 ポグレブニャク 
アルシャヴィンファイズリン
ジリャノフデニソフ
 ティモシュク 
シルルアニュコフ
シロコフクリザナッチ
 マラフェエフ 

12ロシア代表(欧州選手権出場)
 ケルジャコフ 
アルシャヴィンジャゴエフ
シロコフジリャノフ
デニソフ
ジルコフアニュコフ
イグナシェヴィチA・ベレズツキ
マラフェエフ