エマヌエル・アデバヨール(Emmanuel ADEBAYOR)
フルネーム シェイ・エマヌエル・アデバヨール
国籍 トーゴ
出身地 ロメ
生年月日 1984・2・26
身長 190cm
体重 76kg
利き足
ポジション FW(CF)
FK PK PK
キャプテン経験 代表
代表デビュー 2000・7・8
ザンビア戦
代表背番号
W杯メンバー 06年
ニックネーム  
個人タイトル 05〜08トーゴ年間最優秀選手 
07/08プレミアリーグベストイレブン(PFA)
08アフリカ年間最優秀選手
チームタイトル  
所属クラブおよび背番号 出場 得点
01/02 メッツ(フランス) 29 10
02/03 メッツ(フランス2部) 20 34 13
03/04 モナコ(フランス) 24 31
04/05 モナコ(フランス) 24 34
05/06 モナコ(フランス) 24 13
05/06 アーセナル(イングランド) 25 13
06/07 アーセナル(イングランド) 25 29
07/08 アーセナル(イングランド) 25 36 24
08/09 アーセナル(イングランド) 25 26 10
09/10 マンチェスター・シティ(イングランド) 25 26 14
10/11 マンチェスター・シティ(イングランド) 9
10/11 レアル・マドリー(スペイン) 6 14
11/12 トッテナム(イングランド) 10 33 17
12/13 トッテナム(イングランド) 10 25
13/14 トッテナム(イングランド) 10 21 11
14/15 トッテナム(イングランド) 10 13
15/16 クリスタル・パレス(イングランド) 25 12
16/17 イスタンブールBB(トルコ) 26    
ヘディングやポストプレー、こぼれ球にも抜群の瞬発力で反応するトーゴの国民的英雄ですが、周囲と衝突するなど精神面で改善の余地があります。

ナイジェリアにルーツを持つアデバヨールは13歳で故郷ロメのクラブに入り、15歳の時にスウェーデンで開かれた国際トーナメントに出場。ここで活躍しメッツにスカウトされました。
下部組織に入った当初は環境になじめず苦しみましたが、17歳でプロデビューを果たします。最初のシーズンで10試合に出場して2得点を挙げたものの、チームは2部に降格しました。しかし活躍しやすい環境になり、34試合で13得点でチームを1部復帰に導きました。
これによりモナコへ移籍します。プルソやモリエンテスといったベテランの存在により出番は限られていましたが、バックアッパーとしてチャンピオンズ・リーグでの快進撃にも貢献。国内でもモンペリエ戦でのハットトリックなど31試合8得点で、デシャン監督の期待に応えました。
04/05シーズンはシエラレオネ代表のカロンやウルグアイ代表のチェバントンと組み、3人で29得点を記録。自身は9、カロンとチェバントンがそれぞれ10点を挙げました。
05/06シーズン途中にアーセナルに約10億円で加入し、以前チームに在籍していた憧れの存在であるナイジェリア代表カヌの背番号25が与えられます。2月4日バーミンガム戦でのプレミアデビューを得点で飾り、2年目はマンチェスター・U戦やノースロンドンダービーの両試合での得点、FA杯ボルトン戦での2点など要所で点を取って欠かせない戦力になります。
そして07/08シーズンにはノースロンドンダービーで2点を決め、ダービー戦では双方の試合でハットトリックを決めるなど国内ではF・トーレスと並ぶランキング2位の24得点をマーク、チャンピオンズ・リーグでもミランやリヴァプールといった列強から得点を奪うなど、アンリの穴を埋めました。この活躍でミランやバルセロナなど多くのクラブからオファーが届き、待遇改善を求めてクラブと衝突しましたが、最終的に残留することを決意しました。08/09シーズンもアウェーのブラックバーン戦でハットトリックを決め、チャンピオンズ・リーグでも7試合5得点と結果を残したものの、本拠地でサポーターからブーイングを浴びたため、退団を決意します。
そしてマンチェスター・Cへ約40億円で移籍。同時加入のテベスと共に攻撃を盛り上げ、14点を取って役割を果たしますが、ホームでアーセナルを自らの点などで4−2と下した試合では元同僚ファン・ペルシを踏み、相手サポーターを挑発したため、3試合の出場停止になりました。2年目のヨーロッパリーグL・ポズナン戦では同大会におけるクラブ初のハットトリックを達成、アウェー戦でも点を取りましたが、ジョーのレンタルバックや、マンチーニ監督の子飼いともいえるバロテッリの加入もあり出番が減少、FWが人材難のR・マドリーへレンタル移籍します。
2011年1月30日オサスナ戦でリーガにデビュー。セビージャとのカップ戦やソシエダとのリーグ戦で結果を残し、リーグ最終節アルメリア戦でハットトリックを決めます。チャンピオンズ・リーグでもトッテナムから2点を挙げますが、契約の延長はなりませんでした。
11/12シーズンにトッテナムへ背番号10で迎えられ、開幕から5試合連続で決定機に絡みます。チャンピオンズ・リーグ圏内を争う本拠ニューカッスル戦での1得点4アシストなど、最終的に17得点11アシストの成績を残して復活をアピールします。翌シーズンはノースロンドンダービーやチェルシー戦、ヨーロッパリーグのインテル戦で得点を挙げますが、安定感に欠けてデフォーと併用されたこともあり、得点は2ケタに乗りませんでした。
3年目もヴィラス・ボアス監督から冷遇されますがチームが低迷します。そしてシャーウッド監督の初陣などリーグ戦で4度の1試合2得点で2年ぶりの2ケタ得点をマークし、ヨーロッパリーグでもドニプロ相手に2得点と復活を遂げました。
15/16シーズンの冬にC・パレス、翌シーズンはトルコでプレーしています。

2002年W杯予選となるザンビア戦で代表デビューしますが敗退します。しかし2006年W杯予選では地区最多の11得点を挙げ祖国を初の本大会出場へ導きました。ただ、指揮官だったケシ監督と衝突し、辞任に追い込む事態を引き起こすような言動もありました。
代表でもカヌにちなんだ4番を背負い、2010年W杯予選では8試合で5得点を挙げますが、アフリカ選手権で同僚が襲撃されたことにショックを受け、25歳の若さで退きます。しかし3年後の同大会では4試合に出場してアルジェリアから得点を挙げました。
代表記録

余談
・10/11シーズンの背番号は、国内リーグは6、チャンピオンズ・リーグは28です。
・マンチェスター・Cへ移籍した時にはC・ロナウドの部屋を購入しています。
2006年4月24日:新規アップ 2017年1月31日更新