ロベルト・アクーニャ(Robert ACUNA)
フルネーム ロベルト・ミゲル・アクーニャ
国籍 パラグアイ
出身地
生年月日 1972・3・25
身長 178cm
体重 75kg
利き足
ポジション MF(CMF)
FK PK FK
キャプテン経験 代表
代表デビュー 1993・3・3
ボリビア戦
代表背番号 8 10
W杯メンバー 98年 02年
06年
ニックネーム エル・トロ=雄牛
個人タイトル  
チームタイトル 00/01コパ・デル・レイ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
90 ナシオナル    
91 ナシオナル    
92 ナシオナル    
93 ナシオナル    
93/94 アルヘンティノス・ジュニアーズ(アルゼンチン) 33
94/95 ボカ・ジュニアーズ(アルゼンチン) 31
95/96 インディペンディエンテ(アルゼンチン) 32
96/97 インディペンディエンテ(アルゼンチン) 33
97/98 サラゴサ(スペイン) 20 30
98/99 サラゴサ(スペイン) 20 31
99/00 サラゴサ(スペイン) 20 31
00/01 サラゴサ(スペイン) 20 34
01/02 サラゴサ(スペイン) 20 27
02/03 デポルティボ(スペイン) 22
03/04 エルチェ(スペイン2部) 26
04/05 アル・アハリ(サウジアラビア)
04/05 デポルティボ(スペイン) 16
05/06 デポルティボ(スペイン) 16
06/07 ロサリオ・セントラル(アルゼンチン) 10
07 オリンピア 16
09 ルビオ・ニュ 17
10 ルビオ・ニュ 21
11 ルビオ・ニュ 33
12 ルビオ・ニュ 26
13 ドセ・デ・オクトゥブレ(2部)    
14 ドセ・デ・オクトゥブレ
15 レコレタ(4部)    
16 ルビオ・ニュ    
17 ルビオ・ニュ    
広い視野から精度の高い長短のパスでゲームを組み立てる司令塔。豊富なスタミナ、スピード、パワーを兼ね備え、厳しいタックルやマークなど守備面でも貢献します。

パラグアイ人の両親の下アルゼンチンのアベネヤダに生まれます。16歳までアルゼンチン国内のユースで技を磨くも認められず、父親が故郷パラグアイへ移住することを決断します。
そして首都アスンシオンでの生活が始まります。程なくナシオナルよりオファーを受け、1990年に入団し4シーズンプレーしました。ここでの活躍はかつて自身に見向きもしなかったアルゼンチンにも届き、93シーズン終了後いくつものクラブからオファーが舞い込んできたのです。
そしてアルヘンティノス、ボカ、インディペンディエンテといった国内の名門クラブを渡り歩いて主力として活躍、1995年には南米スーパー杯を獲得しました。
97/98シーズンにサラゴサに入り、MFキリ・ゴンサレス、FWミロセヴィッチらと共にプレー。当初は1部残留がノルマでしたが、99/00シーズンにリーグで4位となる大躍進の原動力となり、UEFA杯出場権を獲得しました。しかし翌00/01シーズンは一転17位に終わり、かろうじて1部にとどまります。一方国内カップではクラブ7シーズンぶりの優勝となりました。
02/03シーズンに強豪デポルティボに移籍します。しかし自身のポジションには既に絶対的な地位を築いていたM・シウヴァ、セルヒオ、バレロンなどが健在で、自身のケガによる離脱も重なり、わずか7試合の出場に終わりました。その後2部やサウジアラビアへのレンタル移籍を経てデポルティボに復帰しましたが、以前のような輝きは鳴りを潜めました。
2007年以降は母国に舞台を移し、息の長いパフォーマンスを見せています。

1993年にパラグアイ国籍を取得後、3月3日のボリビア戦で初めて代表のユニフォームに袖を通します。1994年W杯予選は4試合戦いましたが、敗退しました。
1998年W杯予選は14試合戦って出場権を獲得し、本戦では4試合戦ってベスト16に進出します。続く2002年大会予選も15試合、本戦でも4試合でベスト16とチームの中核となりました。しかし後者では決勝トーナメントのドイツ戦で、追加タイムにレッドカードを受けました。
その後ケガで代表から離れましたが、2005年9月3日W杯南米予選アルゼンチン戦で復帰して同国相手に初勝利する歴史的快挙に立ち会います。予選はこの試合含めて3試合戦い、本戦でも3試合フル出場を果たしています。
代表記録

※:アベジャネダ(アルゼンチン)
2007年1月25日:新規アップ 2017年6月30日更新