フルネーム アルベルト・フェデリコ・アコスタ
国籍 アルゼンチン  
出身地 アロセナ
生年月日 1966・8・23
身長 176cm
体重 79kg
利き足
ポジション FW(CF)
FK PK PK
キャプテン経験  
代表デビュー 1992・6・3
日本戦
代表背番号 14 18 20
W杯メンバー  
ニックネーム ベト
個人タイトル 92アルゼンチンリーグ得点王
94チリ年間最優秀選手
94チリリーグ得点王
97コパ・リベルタドーレス得点王(11得点)
チームタイトル 92FIFAコンフェデレーションズ・カップ
93CONMEBOLコパ・アメリカ
95チリカップ
97チリ前期リーグ
99/00ポルトガルリーグ
01CONMEBOLコパ・メルコスール
02CONMEBOLコパ・スダメリカーナ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
86/87 ユニオン・サンタ・フェ 39
87/88 ユニオン・サンタ・フェ 32
88/89 サン・ロレンソ 36 19
89/90 サン・ロレンソ 28 15
90/91 トゥールーズ(フランス) 31
91/92 トゥールーズ(フランス)
91/92 サン・ロレンソ 21
92/93 サン・ロレンソ 19 12
92/93 ボカ・ジュニアーズ 18
93/94 ボカ・ジュニアーズ 16
94 ウニベルシダ・カトリカ(チリ) 25 33
95 ウニベルシダ・カトリカ(チリ) 20 10
96 横浜マリノス(日本) 21 10
97 ウニベルシダ・カトリカ(チリ) 9 25 12
97/98 サン・ロレンソ 9 19
98/99 サン・ロレンソ 9 13
98/99 スポルティング(ポルトガル) 27 13
99/00 スポルティング(ポルトガル) 11 33 22
00/01 スポルティング(ポルトガル) 11 32 14
01/02 サン・ロレンソ 29 11
02/03 サン・ロレンソ 9 30 11
03/04 サン・ロレンソ 9 18 10
当たりに強く、気迫あふれるドリブル突破とパワフルなシュートを得意とします。一方足元の技術が巧みで、柔と剛を兼ね備えています

U・サンタフェでキャリアをスタートさせます。1988年5月29日フェロカリル戦でハットトリックを決めるなどレギュラーとして活躍し、3年目にサン・ロレンソに移籍します。
1988年11月30日サン・マルティン戦では1試合4得点を決めるなど、2年で64試合34得点とエースとしての役割を果たし、ヨーロッパへ渡ります。しかし持ち前の得点感覚は鳴りを潜め、チームも19位に沈みました。そして2年目の途中にサン・ロレンソに復帰します。
前期リーグの得点王になってボカに引き抜かれますが、ウルグアイ代表S・マルティネスやパラグアイ代表R・カバニャスと層が厚く、大半の時間をベンチで過ごしました。
94シーズンにU・カトリカへ移籍。ペジェグリーニ監督の下、サン・ロレンソ時代に続きMFゴロシートとのホットラインで得点王とMVPに輝き、翌シーズンは国内カップを制しました。
96シーズンにゴロシートと共に横浜M(現横浜FM)に入団。メディナベージョの代役として期待され、3月16日G大阪戦でJデビューします。同胞のMFビスコンティのサポートを受けてチーム最多の10得点を挙げるものの年間8位と振るわず、1年で日本を後にしました。
そしてU・チリに復帰し、ビスコンティに次ぐ12得点を挙げてリーグ優勝します。リベルタドーレス杯では準々決勝でコロコロに敗れますが、11得点で得点王になりました。
サン・ロレンソへの2度目の復帰を経てポルトガルのスポルティングへ移籍。2年目には実力を発揮して22得点を挙げ、チームに18年ぶりのリーグタイトルをもたらしました。
翌シーズンも好調を維持して14得点を決めると、チャンピオンズ・リーグにも初めて出場。ここではR・マドリーとS・モスクワの前に1次リーグで姿を消しました。
01/02シーズンに3度目のサン・ロレンソ復帰を果たします。そして3年連続で2ケタ得点と加齢をものともせず、リーグ通算319試合で128得点を挙げました。
その後は母国A・フェニックスで選手兼任コーチや監督を務めました。

1992年に6月3日、日本戦で代表デビューします。同年のコンフェデ杯は2試合で1得点、翌年のコパ・アメリカでは5試合に出場して優勝メンバーに名を刻みますが、バティを筆頭に分厚い選手層を誇る代表チームに定着できませんでした。
代表記録 19試合3得点

※:アルベルト“ベト”アコスタ(Alberto“Beto”ACOSTA)
2018年11月11日:新規アップ